埼玉県入間市にて「郷土料理ともん」を営む。息子の剛氏と共に食材集めに各地の渓流を訪ね、職漁師の暮らしや漁法、漁具を記録。ダイワ精工(現グローブライド)のアドバイザーも勤め、渓流竿「碧翠」、「碧羅」を共同開発。著書に『渓語り』、『職漁師伝』、『川魚 越後魚野川の伝統漁と釣り』(第24回日本水大賞審査部会特別賞)など。
「野の香り山の味」を謳って、「郷土料理ともん」を開店したのは1976年4月、私が24歳になる少し前のことでした。
渓流釣りを通して各地の山渓に出かけた私は、いつしか多くの山人とも知り合いになりました。山梨県でヤマメ、イワナの養魚場を営むAさんとは、釣りによる親魚の採捕に何度も同行し、ワラビ狩りやヤマウド掘り、秋にはキノコ狩りにも出かけました。同様に長野県の伊那谷のBさんとはマツタケの山に入り、同じく福島県の奥会津のCさんとは、マイタケを目的に飯豊山の深山にも分け入りました。そのほかにも渓流釣りを通して知遇を得た多くの山人たちの協力を得て、山渓の幸を扱う「ともん」はスタートしました。
私が抱いた〝山河に深く関わって暮らす〟夢はこうして始まり、まもなく半世紀になります。ここでは私の経験をもとに、季節を追って野生食材の採集の魅力についてお伝えしましょう。
春の七草(1月7日)を迎えると、私はフィールドに出ます。季節は冬の真っ只中ですが、北風を遮る南向きの土手際、いわゆる陽だまりには早くもナズナのほかヨモギ、ギシギシ、ノビル、カラシナなどを摘むことができます。
また水温む湧水の流れの岸辺には、クレソン(オランダガラシ)やセリが生えています。さらに黒土の少ない小砂利の多い畑の跡地には、親蕗の枯れた根本に早くも固い皮を被ったフキノトウが存在し、春の到来を待っています。こうして多穫を望まなければ、寒中といえども小さな春を愉しむことができます。
ナズナ……別名のペンペングサは、果実の形が三味線のばちに似ているためですが私達の子供の頃の女子は、各花序の根本をちょっと引っ張り、花茎を持って振ると「ペンペン」と鳴るため、囃し立てて遊んびました。ナズナは七草粥に入れるほか、生を天ぷら、一度茹でて冷まし各種和え物に。特にゴマ和え、白和えが美味。
ヨモギ……別名のモチグサは、草餅の材料にするから。夏季に投網によるアユ獲りを愉しむ私は、川べりに生えるヨモギの菜を摘んで、水に浸けてから河原石で擦り、水中メガネのレンズを拭いて曇り止めにもします。子供のころに覚えた野遊びの術です。新芽は天ぷらの材料になるほか、いったん茹でて冷まし、水気を切ってラップで包んで冷凍保存にすると、いつでも草餅や青味に利用できます。
カラシナ……陽だまりに生えるカラシナは寒中でも採取が可能です。新芽の辛味を生かしたカラシナのふすべは、材料を3cmほどに切ってザルに移し、塩少々を振ってよく揉み込みます。コツはカラシナの繊維を破壊するくらいによく揉むこと。青汁が滲むのが目安です。まんべんなく熱湯をかけ、少々の打ち水で粗熱を除き、密封容器に入れて冷蔵庫で冷やす。このとき少量の昆布と塩少々を加えると、より一層味が良くなります。朝に仕込めば夕食に間に合います。
クレソン……ステーキの付け合わせの定番ですが、冬季に湧水地で摘むクレソンの新芽はとても柔らかなもの。クセがないため好みのドレッシングをかけた生食がよいでしょう。天ぷらにはレモンを搾り塩少々をかけて。手早く茹でて冷ましたものは、各種和え物のほか、椀ダネにも利用できます。
ギシギシ……真冬の氷点下の朝を迎えると、多くの葉物類は凍ってしまいます。せっかくの食材が、とがっかりするものの、ギシギシの仲間(スイバなど)はイタドリ同様の酸味(シュウ酸によるもの)があるため寒さに強いのが特徴。生は天ぷら、茹でて冷ましたものは三杯酢等の酢の物に。酢の物は冷蔵庫に収めると保存が効きます。
ノビル……多くのノビルは束生しています。そのため掘り起こして太い球(鱗茎)を選んで採取しますが、残りのノビルを埋め戻すときに株をほぐすと翌年には立派な鱗茎に成長します。ひと手間を要するものの次の再会が楽しみになります。味噌をつけたノビルの生食は辛みもあって酒肴向き。いっぽう湯に通して冷ましたあと、青い部分を茎に巻いたノビルの一文字は若干の甘みもあって万人向きです。酢味噌が合いますが、子供さんにはマヨネーズケチャップがよいでしょう。天ぷらには生をくるくると巻いて揚げます。適宜に刻んだ醤油漬け、さらに鱗茎を味噌漬けにしても保存が効きます。
セリ……セリのゴマよごしといえば、各地で愛された郷土食。クレソン同様、早期に湧水沿いで摘むセリは、とても柔らかです。いっぽう3~4月の春本番に摘む休耕田のセリは、俗に田ゼリと呼ばれ茎の根本は若干赤みを帯び、とても力強く野生の味。ナイフを利用して根本から切るとよいでしょう。各種和え物のほか、好みの具材にたっぷりのセリを入れた「セリ鍋」も美味しいものです。
ソメイヨシノが咲くと、私の山河行は野草から山菜に移行します。桜がほころぶとコゴミ(クサソテツ)が始まり、この花が散り始めるとタラの芽が採りごろになります。春の到来は、年によって相違があるため、私はカレンダーより花の開花を参考にしています。
フキノトウ……春の一番バッターとも呼ばれるフキノトウはすでに里山のここかしこで目にしますが、ここで紹介するのははフキノトウが成長した「フキの姑」の利用です。俗に薹(とう)が立ったフキノトウはすでに適期を逸したとばかり、見送る人が多いですが、20cm余りに伸びたフキノトウなら苦味も弱く、とても柔らかです。これを採取し、いったんボイルして流水で冷ましたあと、細かく刻んで酒、醤油、砂糖で煮付けて、フキノトウ味噌(味噌、酒、味醂、砂糖)に利用します。多めにつくったときは小分けにして袋に入れて冷凍保存するとよいでしょう。酒肴向きでいつでも愉しめます。
コゴミ……アクがないため万人向き。採取は面倒でも一本ずつを手で折り取り、中央部の胞子葉(若干背が低い)は傷つけないようにします。株全体にナイフを当ててスパッと切ると迅速ですが、この方法を続けるとコゴミは痩せてしまいます。コゴミを含め、山菜も我々と同じ生あるものと考え、毎年の出会いを愉しみにする精神が大切です。生を天ぷら、湯に通して冷ましたものはマヨネーズ和えのほか、各種和え物に。同じ仲間のアブラコゴミ(キヨタキシダ)も美味です。
タラの芽……タラは古語で棘の意。〝トリトラズ〟〝ヘビノボラズ〟の別名がある。採取時は棘に負けない革手袋を使うとよいですが、一年ごとに成長する節目には、よく見ると1~2cmほどの棘のない隙間があります。素手でもここを持って撓めると、先端のタラの芽を採取できます。タラの芽の枯渇を防ぐためにも一番芽のみを採取し二番芽ならびに幼い木からの採取は遠慮しましょう。濃厚な天ぷらの味は山菜の王者にふさわしく、ゴマ和えもよいです。同じウコギ科のハリギリやタカノツメ、コシアブラも美味。
ワラビ……山菜摘みの代表といえば、ワラビ狩りでしょう。休耕田やスキー場の斜面、辺り一面に生えたワラビは女性や子供も大喜びです。仮に目を閉じて触れても、折るべき場所は感覚がおしえてくれます。茎を触って確かめるとポキっと折れる箇所があるのです。ワラビ狩りのベテランは事前に輪ゴムを用意して、寸(長さ)を揃えて束ね、根元を輪ゴムでとめます。あとの始末(整理)がとても楽になります。ワラビのアク抜きは指を入れられる程度の湯に重曹を加えて溶かし、一晩漬けてから流水で洗います。茹で汁が熱すぎたり、重曹の量が多いと肝心なワラビが溶けるので要注意です。刻み生姜に削り節をのせ、醤油少々をかけたワラビのおひたしのほか、アクを抜いたワラビの醤油漬けも酒肴向き。大量に採れたときはサッと湯に通し、流水で冷まし塩蔵保存にするとよいでしょう。1ヶ月程度でアクが抜けます。
ヤマウド……山国の4~5月、イワナ釣りを目的に谷に入ると、雪消えの斜面にヤマウドの群生を見つけることがあります。本当は専用の「ウド掘り」があると便利ですが、小型の移植ゴテ、または何もないときは近くの折れた木を利用して崩れた斜面の土を掘ると、ヤマウドの白い部分が現れます。その根元近くで切断し、沢水で洗うと生食も可能なくらいに採りたてのヤマウドは新鮮で甘いものです。酢味噌(生味噌も可)を付けたヤマウドは絶品。柔らかい新芽は天ぷら。煮物や和え物のほか皮のキンピラも美味です。なお、根を傷つけたり、群生する株をすべて採取すると痩せるため、一部の採取だけに心がけましょう。
私の渓流釣りは、山菜摘みを兼ねた季節からスタートします。関東周辺では3月、春の遅い山国では、4月中旬ごろから始動します。夜明けとともに川に入り、朝の釣りを楽しんでいます。渓魚の棲む流れを前にした早期のひとときは常に新鮮で、胸の高鳴りさえ覚えます。こんな充実したひとときをフィールドを愛する多くの人に味わっていただきたいと思います。
渓流釣りは、エサ釣り、毛バリ(てんから)釣り、フライフィッシング、ルアー釣りととても多彩。さらにエサ釣りに用いるエサ類は川虫、キヂ(ミミズ)、イクラ、ブドウ虫、バッタ等の昆虫類……と、こちらも多種多様。渓流釣りの基本として、各種のエサ釣りを経験していると、次のステップへの早道になるでしょう。私はエサ釣りでは専らキヂを愛用しています。5月ごろではシマミミズ、それ以降はドバミミズを使います。最近は少なくなった野積みの堆肥や近くの雑木林で使う分だけのキヂを採ります。エサ採りも仕掛けを作っているときも、明日の釣りに想いを馳せた楽しいひとときです。
私はシーズンを通してヤマメでは0.8号の通し仕掛け、イワナは1.0号の通し仕掛けを基本にします。オモリもアユ用の0.5~1.0号を水勢に合わせ2~3個付けます。太仕掛け大オモリのいわゆる喰わせ釣りが特徴です。初代の「碧翠」から今も市販されている「碧羅」は、この仕掛けと釣り方に適応した竿としてダイワ精工(現グローブライド)との共同開発から誕生しました。また私の息子(剛)も父子相伝の釣りを実践するため、同社のアドバイザーとして「源弓」に関わっています。
私たちは奥山の山菜が終わった7月より本格的な渓流釣りを堪能します。息子は源流に、私は小旅行を兼ねた山釣りを愉しみます。
8月に入ると、いよいよアユの投網漁の解禁です。地元、奥武蔵を流れる高麗川をスタートに、8月も後半になると新潟県の川にも出かけます。いずれも渓流釣りでよく通った川筋を今度は水中メガネをかけてたどり、投網を打つや流れに潜って網のなかのアユを掴まえます。気分爽快、私にとって慣例となった夏の一大イベントです。
簡単に一網打尽にできるように見える投網ですが、渓流域の網打ちは、急流や大岩を避けるなど高度な技術を必要とします。しかも川底には大小様々な底石があるため、網を引くことはできません。また網の目も、早期は14節、お盆ごろは12~10節、秋の落ちアユは9~8節のものを使い分けていきます。この節とは5寸(15.15cm)のなかに幾つ網目があるかで決まります。急瀬に居着く良型や秋の大型を狙うときは、網目が粗く水の抵抗の少ない9?8節の網が好都合です、私は少年時代より川遊びが大好きなため、今なお投網を片手に夏の河原に佇むと言い知れぬ倖せを感じます。
アユは塩焼き、生かして持ち帰ったものは造りに背越し、さらにアユご飯等々へ。「ともん」では、夏から秋はアユのコース料理が好評です。
渓流や清流のアユが色付き始めると、山ではキノコが発生します。私にとって一年で最も忙しい季節の到来です。台風が接近すると落ちアユのことが気になり、そんなときに台風一過の晴天を迎えるとキノコ日和を迎えるからです。なかでも奥山のミズナラに発生するマイタケは、数多くの大木を見て回るだけにその出遇いはまさに感動もの。「舞茸」の名の通り、小躍りしたい気分になります。
経験を積むと、その場の風通しの加減や笹の生えているところによって、発生の早い樹から遅い樹までが判るようになります。9月中旬を境に、前半には早い樹を中心にほぼ一週間の間隔で見てまわり、後半から10月に入ると10日くらいのサイクルで見て回ります。これほど足繁く通うのは、せっかく発生したマイタケを腐らせないためです。
近年はクマの出没も多いため、鈴や呼子、爆竹は必携です。不慮の出遇いを避けるためにも、相手にこちらの存在をいち早く知らせることが大切です。ちなみにスマホから賑やかな音楽を流しながら奥山に入る息子でも、2年続けてクマと遭遇。うち一度は子連れのクマでした。曇天や降雨のときの入山は特に気をつけたいものです。
9月後半から10月は、キノコの最盛期です。各シメジ類からコウタケ等々、運が良いと山の斜面に様々なキノコが顔を出します。ただし、キノコの当たり年には当然毒キノコも多くなります。むしろキノコ狩りのベテランたちは、いち早く発生するクサウラベニタケなどの毒キノコの多寡を見て、「今年のキノコはいいぞ。毒(キノコ)がいっぱい出ている」とか「今年はダメだなァ、毒さえ出ていない」と判断します。
私たちは全山紅葉の季節から樹々の葉が落ちるまで、晩秋のキノコ(ナメコ。ムキタケ、クリタケ等々)を愉しんでいます。持ち帰ったキノコは、早めの処理が必要です。湯に通して流水で洗うと、山のゴミはすぐに落ちます。処理を済ませたキノコは、そのままおろし和えや煮物、汁物、鍋物に使えます。いっぽうマイタケなど肉質で香りの強いものは細かく裂いてラップで包み、冷凍保存に。コウタケ、天然シイタケなどは二日ほど天日に晒し、乾燥保存にします。乾燥させたものを戻すときはぬるま湯を利用します。
清流の小魚、ハヤ(ウグイ)、ヤマベ(オイカワ)は寒気厳しく、霜が降りるころになると陽当たりの良い場所や湧水付近に密集します。これを私の地元の奥武蔵一帯では昔から〝霜寄り〟と呼び、投網による「寒雑っ魚」獲りは冬の風物詩でした。ただし近年は河川環境も変わったうえにカワウやブラックバスの食害も甚大で、今は冬の川辺に佇む川漁師もいなくなりました。
幸いにも私はその道の先輩たちからザコ網(投網)やザコビク、またザコ串用の竹串を託されているため、鑑札を受けて12月の川辺に佇み、正月用のザコ獲りをします。ここでは多獲を目的とせず、冬期に川に行けることや魚と戯れることを楽しんでいます。辺り一面が枯れ色のなか、湧水の川辺にはセリやクレソンが瑞々しく茂ります。少し摘んで腰ビクに入れることも冬期の楽しみのひとつです。寒中の雑魚はエサを食べないため、そのまま利用することができます。ザコ串のほか、天ぷら、甘露煮等が好評です。
完成したら、写真をとって『やった!レポ』に投稿しましょう!苦労したことや工夫したこと、感想などあれば、ぜひコメントにも記載してください。
一見無尽蔵に見える山の幸、川の幸ですが、実は限りのある資源です。そのことをよく知っているのが、各地の山河に暮らす山人たちです。彼らは山も川も、そして樹々から草花、さらには獣や魚たち……をいずれも同じ山の仲間と考えています。そのため常に敬虔な気持ちを胸に山河に分け入っています。長年山人たちと行動をともにした私は、彼らの背中を見て多くのことを学びました。手にする様々な食材に感謝を忘れることなく接すると、自然は私たちを快く迎えてくれる。そんな気がします。
一匹のイワナを手にするとき、その背後に広がる世界に想いを馳せます。魚が食べる虫、その虫を育む川辺の樹々、それらを擁する山、山から湧き出る水……。たくさんの生き物同士の複雑な関わりがイワナや山菜、キノコを支えています。イワナを通り過ぎた水は川を下り、海ではまた別の生き物を養います。豊かな山があってこそ川が健全で、川が健全でこそ海を豊かにします。人が野生食材を採取して愉しむとき、生き物と自然の関わり合いそのものを食べているのかもしれません。