一般の遊漁者に許される漁法のなかでも、とくに効率が高いのが投網。使える状況は限定されるものの、地形や水位とマッチすれば、ほんの数投でその日のタンパク源を調達できます。一度身につければ、その技術は一生もの。きれいな川や海の近くに住んでいるなら、ぜひ覚えておきたい生活技術です。
サンドイッチの味付けやウインナーの付け合わせに使われる粒マスタードはペーストの和カラシよりも風味が強く、食材をひと味もふた味も美味しくします。お店では小瓶がそれなりの価格で売られていますが、実は自作するのはそれほど難しくありません。カラシナが種子をつける初夏、河川敷に生えた野生の株から粒マスタードをつくってみましょう。
仕事の合間にちょっと休憩……。そんな場面で日本人がいちばん飲んでいる飲料はおそらくお茶でしょう。現代では静岡や福岡、鹿児島といった有名産地でつくられたお茶を飲むのが一般的ですが、数十年前まで、お茶は庭先のチャノキから若葉を摘んで自宅でつくるものでした。今でも、郊外や田園地帯の生垣にはそのころの名残のチャノキが使われています。そんな木から若葉を摘んで緑茶と紅茶をつくってみましょう。
自分の生活に欠かせない嗜好品を問われたとき、多くの人がコーヒーをあげるでしょう。コーヒーはコーヒーノキの種子を焙煎して砕いた粉から、成分を抽出した飲料ですが、このコーヒーの種子は、生のままでは私たちの知るコーヒーの香りや味は一切ありません。しかし、「焙煎」という処理を加えると、生豆にはない豊かな味や香りが引き出され、美味しい飲料に変化します。焙煎という調理方法は食材にどんな変化を与えるのでしょうか。コーヒーの焙煎と聞くと、大きな焙煎機を使ってプロが厳密な温度管理のもとに行うものが思い浮かびますが、焙煎自体は家庭にある機材にいくつかの道具を買い足すだけで楽しめます。キャンプやピクニックに出かけたときに、そこでコーヒーを焙煎してみませんか?
ここ数年で、肉や魚の身は新鮮なものだけではなく、数日寝かして熟成させたものもおいしいことが知られ始めました。また、お寿司屋さんでも仕入れたばかりの鮮度の高いお魚をすぐに出さずに熟成させた魚を出すお店もあります。おいしさは主観に大きく左右されます。鮮度が高くて身が締まり、歯応えのある鮮やかな色味のものがおいしい、と感じる人もいれば、熟成が進んでやや柔らかくなった甘い身がおいしいと感じる人もいます。その中間を好む人もいるでしょう。一度に食べきれない魚を手に入れたときは、魚の熟成を試してみるチャンス。釣りたてから数日かけて食べ比べれば、自分がどんな歯触りと味を好むのか知ることができます。魚の熟成の仕組みと熟成させるための技術を知り、味の変化を五感で感じ取ってみましょう。
外国の生活事情を紹介するテレビ番組には、よくニワトリの姿が映っている。日本でも半世紀ほど溯れば、人の生活圏でニワトリの姿を見るのは、珍しいことではなかった。歴史的には3600~5000年程前から人間とニワトリは一緒に暮らしてきたらしい。ともに生活することで、ニワトリにも人間にもいいことがある。そのためにニワトリと人間の生活は近づいていったのではないかと思う。人間にとっては、卵や肉などの動物性タンパク質が比較的簡単に手に入ること。そして単純に楽しいこと。ニワトリにとっては、日々の食べ物が手に入り、安全に繁殖生活を営めること。ニワトリが人との暮らしを楽しいと感じているかはよくわからない。ときどき、卵を取られたり、食べられてしまったりするのは、些細な損失として許容されているように思う。そしてこれらの「いいこと」はいまでも双方にとって有効である。
人は古い時代から、飲み物に香りを付けて楽しんできました。「植物から香りを抽出する」というと、特殊な装置を思い浮かべるかもしれませんが、素材によっては、植物から香りを取り出すのはそれほど難しくありません。ここで紹介するのは植物から取った香りを楽しむ自家製ノンアルコール・ジン。お酒が苦手な方や妊婦さん、車を運転するお父さんやさらにはお子さんまで楽しめます。バーで飲むようなジントニックをつくってキャンプなどで仲間たちと一緒に楽しんでみましょう。
「野の香り山の味」を謳って、「郷土料理ともん」を開店したのは1976年4月、私が24歳になる少し前のことでした。渓流釣りを通して各地の山渓に出かけた私は、いつしか多くの山人とも知り合いになりました。山梨県でヤマメ、イワナの養魚場を営むAさんとは、釣りによる親魚の採捕に何度も同行し、ワラビ狩りやヤマウド掘り、秋にはキノコ狩りにも出かけました。同様に長野県の伊那谷のBさんとはマツタケの山に入り、同じく福島県の奥会津のCさんとは、マイタケを目的に飯豊山の深山にも分け入りました。そのほかにも渓流釣りを通して知遇を得た多くの山人たちの協力を得て、山渓の幸を扱う「ともん」はスタートしました。私が抱いた〝山河に深く関わって暮らす〟夢はこうして始まり、まもなく半世紀になります。ここでは私の経験をもとに、季節を追って野生食材の採集の魅力についてお伝えしましょう。
特徴のある香りを持つドクダミは、繁殖力も強くて厄介な雑草と思われがちです。しかし、意識を変えてよく見てみれば、ドクダミは宝物のような植物になります。現に中国から東南アジアにかけての地域では、ドクダミはポピュラーの食材です。花、葉、根っこまで余すことなく活用できるドクダミの家庭での楽しみ方をご紹介します。
食卓に欠かせない伝統食のひとつ、豆腐。日本人にはとてもなじみ深い食材ですが、実際に作ったことのある人は少ないのではないでしょうか?豆腐の素材は大豆を絞った豆乳とにがりです。豆乳に含まれるタンパク質をにがりで固めることによって豆腐は作られます。それでは、にがりとはいったいなんでしょう。その正体は海の水。海水を煮て水を蒸発させると、最後に塩といくつものミネラルを含んだ溶液が残ります。この溶液がにがりです。にがりと塩を作るのは簡単。海水を煮詰めて濾すだけで塩とにがりを分離できます。いくつかの鍋と豆乳があれば、自分で取ったにがりで豆腐を作ることができます。今度の海遊びでは、美味しい豆腐を海の水から作ってみませんか?\ PRO TREK PRW-61 × WILD MIND GO! GO! /ケース・バンド・裏蓋に、植物由来の再生可能素材「バイオマスプラスチック」を採用したPRO TREKのエコモデル!詳しくはコチラから
日々の生活のなかで生み出される家庭ゴミのうち、全体の3~4割にも及ぶ生ゴミ。そして、生ゴミの8割を占めるのが水分です。収集されたゴミは焼却場で灰にされますが、燃えることのない水を蒸発させつつゴミを焼却するのは、とても非効率です。自治体によっては生ゴミを減量するために電気式のコンポスターの購入に補助金を出すところもありますが、生ゴミの軽量化や分解のために電気を使うのは、焼却場とは別の場所に負荷をかけかえるようなもの。生ゴミの元は命ある食材です。灰にして埋め立ててしまえば命の循環から外されてしまいますが、ある処理方法を行なえば、生ゴミはもう一度命の環のなかへ戻っていきます。焼却場の負担を減らし、収集日までに発する悪臭を防ぎ、処理にエネルギーを使わず、生ゴミを再び生かすその方法とは……土に埋めること!自然界には生き物の亡骸を土に戻すシステムが働いています。この力を使って庭先で生ゴミを分解してみましょう。\ PRO TREK PRW-61 × WILD MIND GO! GO! /ケース・バンド・裏蓋に、植物由来の再生可能素材「バイオマスプラスチック」を採用したPRO TREKのエコモデル!詳しくはコチラから
人間が生きていく上で必要不可欠な「水」。健康な大人は、1日に体重1kgにつき約35ミリリットルの水が必要と言われています。これは体重50kgであれば約1.7リットルにもなり、山や森の中など、数日間野外で生活するとなると、持ち運ぶのもひと苦労です。サバイバル技術の中には、河川や湧水から水を採る方法がありますが、もし近くに水源がない場合にはおすすめの方法があります。それは、地面に穴を掘って、草木や地面が持つ水分を気温差を利用して集める方法です。集めた水は濾過や蒸留、煮沸が必要ないので、そのまま飲むことも可能です。ここでは、実際に森の中で気温差を利用して水を集める方法を紹介します。必要なのは、マグカップと大きめのポリ袋、そして穴を掘るためのシャベルのみ!簡単なので、ぜひ挑戦してみてください。注意※野外での飲料水の採取には危険と責任が伴います。安全に自信が無いときは口にしないでください。※この記事は、水の採取方法をご紹介するもので、安全性を保障するものではありません。※気温が氷点下を下回ると水が凍って使えない手法なので、氷点下を上回る環境で挑戦しましょう。
地球からおよそ1億4960万km離れた場所に位置する太陽。太陽を飛び出した光は、そこから8分20秒かけて地球に到達し、あらゆる生命を養う源となります。ソーラーパネルはこの光を電気に変換することを可能にしましたが、特別な装置がなくても、太陽光をエネルギーとして利用することができます。なかでも簡単かつ効果的な道具が「ソーラークッカー」。太陽光を一点に集中させることで、お湯を沸かしたり、食物を加熱します。ごくごく少量の素材で作れて燃料を使わず、二酸化炭素もススも出さないソーラークッカーは、もっとも環境負荷の小さい加熱器具。製作・使用するうちに、エネルギーと資源について学ぶことができます。
自然は巨大な食材の宝庫です。なかでも昆虫は日本だけでも3万種を数え、狩猟採集時代から食べられてきた立派な食材です。昆虫を捕って食べる行為は、私たちのDNAに刻み込まれている本能なのです。たとえば、セミは昔から世界中で食べられてきました。中国では漢代の王の墓から「セミ焼きコンロ」が副葬品として出土していたり、古代ギリシアの哲学者アリストテレスは「幼虫が美味い」と言い、それを知ったファーブルが幼虫を捕まえて試食する話を『ファーブル昆虫記』に書いています。日本では井伏鱒二が小説『スガレ追ひ』で「アブラゼミはビールのつまみによい」と書き、かつて長野の園芸試験場では、リンゴの樹液を吸う害虫として捕獲されたセミ幼虫を缶詰に加工・販売していました。身近で捕れる昆虫が食材になると、家の近くの草原や河原はご馳走の宝庫になります。さあ、美味しい食材を狩りに出かけてみませんか?前回の記事 「昆虫は食材だ!身近な虫を捕って食べよう」では、バッタをいただきました。今回は、いまが旬のセミを捕って美味しくいただきます。※このHow toには昆虫を調理する写真が含まれます。苦手な方はご注意ください。
「野草を食べる」というと、なにか少し変わったこと、楽しそうなことと感じる人が多いかもしれません。もちろん、そういう気持ちや気分というのもよくわかるのですが、じつは、それ以外にもぜひ気がついてもらいたいことがあるのです。それは、私たち人類は、この地球上に誕生したときから、ずっと植物を食べ続けてきたということです。けれども、今日のように人為的に田んぼや畑で作られる穀物や野菜がなかったときは、一体どうしていたのでしょうか? それは、もちろん、自然の大地に生える野生の植物を食べていたのです。そして、その野生の植物というのは、大きく分けて、「木」と呼ばれる木本植物と、「草」と呼ばれる草本植物とがありますが、このうちの草本植物にあたるものが、いわゆる「野草」と呼ばれているものにほかなりません。つまり、私たちは、人類としてこの世に登場して以来、ずっと「野草」のお世話になってきたということです。ですから、「野草を食べる」ということは、ただの楽しみばかりでなく、「私たち人類は野草によって支えられてきた」という大きな意味があることにも気がついてもらいたいと思うのです。