ジャズプロモーター、音楽ディレクター、広告プロデューサーの仕事を通じて長く音楽に携わる。音楽と関係の深いファッションを掘り下げるなかでコットン生産をめぐる社会問題に出会い、和棉を育て始める。現在は日本各地で講演・ワークショップを展開。2018年日本オーガニックコットン協会「オーガニックコットンアワード」を受賞
https://tokyocottonvillage.com/
人の暮らしに欠かせない要素を「衣・食・住」と表現することがあります。この3つの要素の筆頭に掲げられるように、私たちが生活を営み、命をつなぐうえで衣類はたいへん重要です。しかし、生活の根幹を支える衣類を自分で作ったことがある人は、少ないのではないでしょうか、ましてや布の素材となる綿花から育てた人はごくわずかでしょう。私たちは1枚のシャツを織るのにどれほどの広さの畑や手間が必要か知らないまま、日々衣服を身につけています。日本には、この島の風土に合った「和綿」というコットンがあります。日本人の生活を支えてきた和綿を育てて、衣類とは何か、ファッションとは何かを考えてみませんか?
和綿と呼ばれる日本のコットンの歴史は、平安時代(799年)に天竺人と名乗る男が三河地方(現在の愛知県)に種を持ち込んだことに始まります。しかし種を蒔いてみたものの栽培は上手くいかず、室町時代までコットン栽培の記録はありません(*三河では粛々と栽培し続けていたという説もあります)。
室町時代以降に戦の兵衣として人気を博した和綿は、戦国時代から栽培が盛んとなり、江戸時代には庶民も着られるようになりました。和綿の繊維質は短く弾力性に富んでいるため、湿度の高い国でも蒸れることなく快適に過ごすことができるとされています。江戸時代には全国で栽培され、和綿銘柄は200以上あったとようです。
しかし、黒船の来航とそれに続く開国によって事情は一変します。急速な近代化を求められた日本は、紡績機械のみならず原料であるコットンも輸入しました。海外の品種のほうが繊維が長く、紡績に好都合だったからです。その後、輸入コットンの関税の撤廃により、国内のコットン栽培は壊滅してしまいました。現在、私たちが身に着けているコットン製品の9割以上は、アップランドコットン(U.Sコットン)という品種で、インドと中国が常に生産国のトップです。
現在、海外で栽培されるコットンには多くの農薬・殺虫剤が使用されており、その量は農作物の中で最も多いと言われています。最近耳にするオーガニックコットンは全体の収量の1%ほどしかありません。農薬・殺虫剤の耐性をつける雑草や害虫も多いので、遺伝子組換えコットンがマーケットの8割に及んだ時期もありました。華やかなファッションの背景では大量な農薬の使用と、耐性をつける雑草と害虫とのいたちごっこが続き、土壌の汚染と健康被害が懸念されています。
農薬が開発されたのは太平洋戦争以降ですから、江戸時代から明治時代の和綿の栽培時期には存在しません。オーガニックが当たり前でした。今では産業上の自給率0%で、生産農家もいない和綿ですが、全国の有志が残る数銘柄を絶滅させないよう守っています。
和棉(植物としての表記はこうなります)の種はお店ではまず売っていません。栽培農家さんや栽培している団体に連絡して入手してください。棉の種蒔き時期は4月下旬から5月上旬とされていますが、近年は気温が高い傾向がありますので、4月の中旬に蒔く方もいるようです。
棉は日当たりと水はけが良いアルカリ性の土壌を好みますので、事前に石灰や蛎殻(かきがら)、木灰等を鋤きこんでおきます。石灰の量は30坪に2Kg程度です。鋤きこむ際は深さ30㎝程度まで耕し、根が真っすぐ下に伸びるよう土を柔らかくしてあげてください。播種にあたって畝を作るのであれば、隣の畝との間隔は80㎝程度あけて下さい。
種の量は1坪あたり20g程度が必要です。種は種蒔きの前日の夜から水につけておきます。畑に深さ3~4センチ程度の溝を引き、15㎝ぐらいの間隔で1箇所に3粒、円を描くように蒔きます。かぶせる土は厚さ2㎝程度で軽く鎮圧します。発芽するまでは土が乾かないように気をつけ、あまりに乾燥が続くようであれば水やりをします。
プランターや植木鉢を使って栽培する場合、容器のサイズは大きい方が望ましいです。最小でも直径15㎝程度の鉢を使用しましょう。直径15㎝の場合の種蒔きは2粒までとします。棉はお日様が大好きなので、家の内外で最も陽当たりの良い場所に置いてください。陽当たりが悪いとあまり育ちません。
種まき後、早ければ1週間、遅くても3週間で発芽します。発芽する時は、二つに割った種を発芽した双葉が帽子のようにかぶって出てきます。とてもかわいいです。棉は初期の生育がゆっくりです。他の草の影にならないよう、日当りを確保するためにまめに除草します。5月、6月ぐらいは他の草もどんどん伸びますので、除草を心掛けてください。
梅雨時期は背丈があまり伸びませんが、土中では根っこがしっかり伸びています。梅雨時期は根っこが育つ時期と考えて下さい。6月には発芽した双葉が10㎝程度になります。それぐらいの時期に、隣り合う双葉の間隔が10センチ程度になる様に間引きを行います。7月に入り梅雨が明けると急に背丈が伸び始めます。背丈が80㎝を超えてきたら一度摘芯をします。背を高くしてしまうとあまり実をつけず、風で倒れやすくなります。
間引きや摘芯は一見かわいそうに思えますが、収量を高めるには大切なプロセスです。しかし収量にこだわらない場合は、種は1粒、蒔く間隔も10㎝程度で良いでしょう(種は前年度収穫のものであれば発芽率はとても高いです)。
早ければ、6月下旬ぐらいから花が咲き始めます。棉はアオイ科でオクラ等の仲間です。花の色や形状がとても似ています。花は一日花とされ、夜明けに咲いた花は、夕暮れには落ちます。花が落ちた根元にはお米ぐらいの実ができています。ゆえに、花の数とコットンの数は等しくなります。
花が落ちた後、実は少しずつ大きくなり、10月ぐらいから殻が開き始め、中からはフワフワの綿が現れます。このことを開絮(かいじょ)と言います。品種によって弾ける方向に違いがあります。日本には雨季があるためか、棉はフワフワの中の種が濡れないように下を向いて弾けます。対してアップランドコットンのように乾燥地帯で栽培される品種では上を向いて弾けます。
最近は9月の上旬など弾ける時期が早くなっているようですが、本来の最盛期は10月~11月となります。収穫は晴れた日の日中に弾けて下を向いてきた綿のみを収穫します。枯葉の欠片等をつけないよう気をつけて白い棉のみを摘みます。あまりのふわふわに驚くはずです。これがファッションの原点です。
オーガニック栽培であれば、実は自身のペースで弾けますので12月まで収穫が続きます。和棉は日本の気候に慣れているので1月に雪の畑の中でも弾けることがあります。ちなみにアップランドのような洋棉は霜が降りるとその以降弾けずに外殻が黒ずんで終了してしまいます。
記事中で「棉」と「綿」が混在することに混乱してきたでしょうか。棉は木のことですが、収穫からまだ種が付いている状態も「棉」と書き、種が取れ繊維になった状態を「綿」と表記しています。
一般的に、綿と種子の分離には「棉繰り機」という農具を使用します。ハンドルで上下二つのローラーを回転させ、ふたつのローラーの間に収穫したコットンを少しずつ入れていきます。ローラー同士の隙間は種子が通れない幅になっているので、綿は種子の周りの繊維をはがされ種だけがローラーの手前に落ちます。そして繊維はローラーの向こう側に落ちます。原始的な機構ですが仕組み自体は今も現役。現代は大きなローラーを電気で回していますが、コットンの種を取る方法はずっと昔から変わっていません。この方式で引き出された繊維は切れていないので紡ぎやすく、残った種子は来年の種蒔きに使えます。
種を取ったばかりの綿は、均一に繊維が揃っていないので、弓の振動や針状のハンドカーダーと呼ばれる道具を使用してほぐしていきます。綿の塊を弓に張った弦で弾き、絡まった繊維をほどいていきます。密度が全体に整っている綿ほど、糸が紡ぎやすくなります。
綿に限らず、天然繊維は極細の繊維を引き出して撚る(よる・コヨリのように)ことによって束ね、糸にしていきます。まずは指先で軽くコットンをひとつまみ。引き出した繊維を指先で撚って束ね、引き出します。引っ張られた繊維は撚りにつられて回転します。この作業を繰り返して撚り続けると、糸になっていきます。
長い糸を紡ぎたい時にはスピンドルというコマのような道具を使用します。少しずつできた糸を巻き取りながらどんどん糸を紡いでいきます。スピンドルの回転が速いほど紡ぐ速度も早くなることから、スピンドルは糸車や紡績機械へと発展していきました。しかし、糸紡ぎの核心はスピンドルにあります。自身の指でスピンドルを回しながら、ゆっくりと文明の発展に思いを馳せるのも悪くありません。
ピンと真っすぐに経糸(たていと)を張って、横から緯糸(よこいと)を通して、一本一本緯糸を織りためると、少しずつ布になっていきます。緯糸を経糸に通すときは、経糸一本一本に対して上下交互に通します。経糸を横から数えて、奇数糸は上側、偶数糸は下側になるよう交互に通していくのです。そしてトントンと軽く織り込んでいきます。経糸は緯糸を通すときに毛羽だって切れてしまうことがあるので、経糸には生麩糊(しょうふのり)等の前処理を施します。するとパリッとして滑りが良くなり、スムースに織ることが出来ます。糊は織りあがった後に洗い落としたら布の完成です。
手ぬぐい程度の幅の布を織る場合は、数千円程度で売られている市販のはた織り機を購入するのが早道ですが、コースター程度の大きさのものなら、自作した木枠で織ることができます(上下の棒で経糸を保持して、そこに緯糸を絡めていく構造が作れればよいのです)。織り機の自作とそれを使っての平織りはそれだけで1本の記事になるボリュームがあるのでここでは解説しませんが、糸を紡いだらぜひ織り方を調べて布を作ってみましょう。
完成したら、写真をとって『やった!レポ』に投稿しましょう!苦労したことや工夫したこと、感想などあれば、ぜひコメントにも記載してください。
私たちが身に着ける衣服はすべて糸の集合体です。綿から1本の糸を引き出して編んだり織ったりすると布ができます。できた布を裁断して縫製すると衣服ができます。このように布を用いるすべての衣服はごくごく細い繊維から始まります。しかもその細い糸の原料であるコットンは、土と太陽と少しの雨から生まれます。自分で棉を育てて糸を紡いでみると、一枚の布、一枚のシャツを生み出すのに必要な時間や地面の大きさをイメージできるようになります。その感覚が身につくとき、衣服やファッションの見え方が大きく変わることでしょう。