狩猟採集、野外活動、自然科学を主なテーマに執筆・編集するフリーランスのエディター、ライター。川遊びチーム「雑魚党」の一員として、水辺での遊び方のワークショップも展開。著書に『海遊び入門』(小学館・共著)ほか。twitterアカウントは@y_fomalhaut。
コロナの蔓延をきっかけにキャンプブームが訪れ、去っていきました。中古用品店を覗くとアウトドア用品が山と積まれています。残念なことに、キャンプもまた大量生産・大量消費の流れに取り込まれてしまったようです。「キャンプは人との接触を避けられるレジャーだったからコロナ禍で流行した。接触が解禁されれば、ブームも去る」。そう言ってしまうのは簡単ですが、他者との接触を避けられる遊びはほかにもありました。きっと、過密の回避以外にもたくさんあるレジャーのなかからキャンプが選ばれた理由があったはずです。多くの人がキャンプのなかに「素敵なもの」の気配を感じたものの、それに気づけないまま通りすぎていったのではないでしょうか。その素敵なものの正体とは何か。簡素なキャンプのなかに、そのヒントが隠されています。
そもそもキャンプとはどんな行為で、どこに魅力があるのでしょうか。日帰りの大がかりなピクニックを指して「デイキャンプ」と言ったりすることもありますが、一般的にキャンプは「1泊以上の野営を軸にした野外活動」と定義づけられるでしょう。難しいのは魅力のほうです。人はなぜ、わざわざ家とは違う場所に出かけて不便な状況下で眠ったり、食事をしたりすることに魅力や楽しみを見出すのでしょうか。
「便利で快適なキャンプ」を追求してみると、キャンプの魅力の源泉が明確になります。風雨にさらされても安全な寝床、水を潤沢に使える台所、無防備な状態でも安心して用を足せるトイレ、寒暖を遮ってくれる強固な壁、2点間を短時間で結ぶ移動手段……。それらを追求してみるとひとつの結論が導かれます。キャンプに利便性を求めていくと最後に行き着くのは……家!(しかも車つき)。なんと、アウトドアを求めたはずがゴールはインドアになってしまいました。ラグジュアリーなキャンプは本質から遠ざかるようです。
それでは「便利で快適なキャンプ」の反対側を考えてみましょう。それは衣食住の最低限の機能を求めるものになるはずです。体温を維持するのに最低限の寝床、食中毒を起こさない程度に安全な給水システム、オープンな環境での排泄、寒暖を遮る簡素な壁、燃料などを必要としない原始的な移動手段……。それぞれを総合すると生活の道具を担ぎ、徒歩で移動するスタイルに収斂していきます。現代においてそれは、ハイキングやバックパッキングと呼ばれています。
バックパッキングは生活そのものを背負って歩く試みです。野外で眠り、食べ、楽しむための装備を背負い、継続的に歩き続ける。無理なく背負えることが大前提になるので、それぞれの道具は軽量かつコンパクトであることが求められます。オートキャンプで使うような大型テントは望むべくもありません。
バックパックが人に課す大きさと重さの制約は、道具選びに視点を与えます。より長く、より快適に歩くには装備全体での最適化が必要になります。靴には「長く快適に歩く」ための機能が残り、衣類には「体温の維持」の機能だけが残ります。シェルターには「風雨を遮る」機能だけが残ります。
「○○だけが残る」というと諦めることばかりになりそうですが、そんなことはありません。自分が背負える重量のなかにさまざまな機能をもつ道具を収めることは、自分が本当に何を必要としているかを洗い出す試みです。その作業を繰り返した末に、バックパッキングでは持ち運べないものに魅力を感じているとわかれば、それを軸にしたキャンプを楽しめばよいのです。
実践する場所は人の少ない山や海浜が理想ですが、挑戦する場所はなにも大自然でなくても大丈夫です。電車で移動し、駅から数時間歩いて到達できる河原や海岸などでも十分に楽しめます。
地味な行為のためあまり目立ちませんが、キャンプを成立させるうえで重要なのが睡眠です。三大欲求のひとつにも数えられる睡眠は、それなしでは継続的な活動を行えません。快適な寝床を野外で用意できなければキャンプは成立しません。
一度試してほしいのが開放空間での野宿。究極の野宿は、身ひとつでのごろ寝です。しかしこれは実践してみるとなかなか難しいことに気づきます。外気が体温を保つのに無理のない温度であることと、その気温で吸血昆虫に脅かされないことの両立が難しいからです。快適な気温のときには虫がいて、虫がいない季節には防寒具が必要になります。日本では雨も重要な要素です。気温、昆虫がクリアできても雨の多い日本では水濡れが問題になります。
以上を考え合わせると、日本の野外で快眠の最小の条件は、体温を維持するための装備(マット、寝袋)と雨を防ぐための装備(タープ)、時期によっては虫を防ぐための隔壁(蚊帳など)となります。
現代のテントは軽量で快適なため、最初からそれを使うと人間の睡眠に何が必要かを覆ってしまいます。テントなしで眠ってみるのはベランダや庭先でもできるので一度挑戦してみるのはどうでしょうか。屋根と壁の外で眠るだけでいろいろな発見をするはずです。
生命を維持する上で、水と食料の継続的な摂取は絶対に欠かせません。しかし、キャンプと移動が長くなると食料と水の重量はバカにならないものになります。食料はともかくとして(野外で調達しない限り、都市から持ち込むのは当然なので)、水は野外で得ることを考えなくてはいけません。日本は水の豊かな国なので、ある程度の標高がある場所や無人地帯では人の活動で汚れていない水を取ることができます。
しかしそんな水もほかの野生動物の営みからは守られていません。山の水場で水をとってさらに登っていくと、さっき水を取った場所の上流側に動物の死体や糞を見つけて青くなることがあります。人がいない場所でも水の浄化か煮沸は必須です。最近は携行の負担が小さい小型浄水器が入手しやすくなりました。こんな道具を持ち出して野外でとった水を濾過して調理をしてみるだけでも、水への意識が変わります。
調理に使う火も大事な要素です。数日の行動であればガスやアルコールを使うストーブが便利ですが、都市から燃料を持ち込むこれらの器具は燃料が尽きれば使えなくなります。それに比べて、燃料切れの心配がないのが焚き火です。日本の野山には薪がたくさん落ちています。それらを集めれば燃料に困ることはありません。現代の日本では、焚火はどこでもゆるされる行為ではありませんが、エネルギーの利用と調達についていろんなことを考えさせてくれます。
食物を口にすれば、いつかは形を変えて出てきます。米が異なると書いて「糞」とは、よくできた漢字です。人が少ない地域の野山や海浜で便意をもよおしたとき、そこにはトイレはありません。当然、人目のない場所で元は米だったものを土に返すことになります。そのときに必要なのが、他者に迷惑をかけない排泄セットです。
私は防水袋のなかにスコップ、トイレットペーパー、ソフトフラスク、ライターを揃えた野糞セットを作っています。催したらほどよい目隠しを探し、そこへ向かう途中で毒のない柔らかな葉っぱを集め、目隠しのなかに浅い穴を堀り、穴にウンコをしたら葉っぱで大まかにぬぐい、フラスクの水を噴射して洗い清めます。トイレットペーパーとライターは良い葉っぱが見つからなかったときの保険です。葉っぱがなければ紙で拭いてライターで穴のなかで燃やし切り、それからお尻を水で洗っています。
排泄はあとから通る人に不愉快な思いをさせないことはもちろん、水を汚さない配慮も必要です。沢や川から離れ、雨水などに簡単に流されない場所を選びましょう。野外で排泄することに抵抗がある人もいるでしょうが、トイレでしか排泄できないのは、常にトイレに行動を縛られているようなもの。トイレのない場所で排泄できるようになると、行動範囲が大きく広がります。
野外活動に欠かせない道具の筆頭である刃物を例に、道具と技術の関係を考えてみましょう。入門者は格好良くて大ぶりなナイフを買い求めがちです。しかし、刃物の扱いに習熟していくうちに軽量かつ小型のナイフを使うようになります。大きなナイフは重さが負担になる割に出番が少ないものです。
世にはアウトドアでのナイフの使い方として、太い薪を割ったり、焚き付けを薄く削り出したりする技術が流布されているため、入門者はわけもわからず高価なナイフでこれらに挑戦します。しかし私は、これらの情報が刃物の使用の本質へ近づくことを妨げていると感じています。大切なのは「高価なお気に入りのナイフを使ってネットで目にした技術を真似る」ことではなく、「物を切断するとはどういうことかを知る」ことです。
入門者からおすすめのナイフを問われたとき、私はステンレスの安価な汎用ナイフ数本と鋼の包丁、軽量な鋸を買うことをすすめています。軽量かつ安価なナイフは出し惜しみせずに使えるので、短時間で扱いが上手になります。また、安価なものは比較的鋼材が柔らかいので鈍るのも早く、その結果研ぐ機会が増えて研ぎの技術も向上します。形状が異なるナイフを使うと、刃の形が切れ味にどんな影響を及ぼすかを感じることもできます。
包丁は「物を切る技術」にフォーカスしたときに力を発揮します。人が暮らしのなかで刃物を使うシーンでもっとも多いのは調理です。たまのキャンプでしか使わないアウトドア用ナイフよりも出番の多い包丁は「切るとはなんなのか」、「よく切れる鋼材の効果がどんなものか」、「切れる刃付けとはどんなものか」を教えてくれます。鋸は軽量な割に大きな木を切れるので、鉈や斧を持ち歩くのより効果的です。
ここでは、刃物を例にとりましたが、「道具の目眩し」はキャンプの世界についてまわります。高性能な道具は所有欲を満たしてくれますが、ときに行為の本質に近づくことを邪魔します。道具をできるだけ簡素かつ軽量にして、捨てた重さぶんの性能を技術とアイデアで補うように心がけると、背負う荷物は少なくなり、自分の体ひとつでできることが増えていきます。
体験したら、写真をとって『やった!レポ』に投稿しましょう!苦労したことや工夫したこと、感想などあれば、ぜひコメントにも記載してください。
自分の心身を維持するのに必要な最低限の条件知り、道具を知恵と技術に置き換え、限りなく身軽になる。キャンプの本質とは、人が文化と生活を発展させるなかで身につけていった過剰な装備を解いて、生身の自分を生かし続ける道具と技術を確かめることにある、と言えそうです。最近のキャンプブームのなかで、人々が触れかけて取り逃したキャンプの魅力は、「自分で自分を生かす技術の習得」だったと私は考えています。
道具に溢れたキャンプは快適ですが、それは居間や寝室を野外に持ち出すようなもの。しかし、極限まで荷物を簡素化したキャンプだけが正解だ、とも思いません。移動手段に車や自転車を使っても本質は損なわれないし、ときに豪華な料理を楽しむことも悪ではありません。ただ、消費そのものを楽しむのではなく、自分に備わった生き物としての性能を確かめる視点は忘れずにいたいものです。その気構えがあるだけで、キャンプから得られる発見がずっと増えるはずです。