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縄文人スイッチを探せ! 妄想縄文体験をしてみよう

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譽田亜紀子

文筆家
12%の縄文人DNAを意識してみよう!

ここ最近、縄文時代に注目が集まっていることをご存知でしょうか。およそ15000年前から1万年以上続いた時代。あまりの時間的隔たりに「同じホモ・サピエンスなの?」と思いたくなりますが、間違いなく同じホモ・サピエンスであり、私たちからざっくり80代遡ると縄文人に行き当たるのです。
そこで今回は、縄文人たちとの繋がりを日常の暮らしの中から探し出し、私たちの中に眠る縄文人の痕跡を探ってみたいと思います。

私たちの暮らしには、縄文時代から続いているものが結構あります。今回はその中でも「食べること」を通して縄文人と私たちの繋がりを探し出し、日本人特有の味覚センスについて考えることにします。そして体験を通じて、私たちの中にある12%の縄文人DNAについても考えてみることにしましょう。

※STEPで紹介するジオラマの写真は、新潟県立歴史博物館のものです。
http://nbz.or.jp/

READY
準備するもの
  • 想像力

STEP 1

ざっくりおさらい、縄文時代!

  • 縄文時代冬の狩猟シーン

縄文時代は今からおよそ15000年前から2400年前(諸説あり)まで続いた時代です。この1万年をざっくり6つの時期区分(草創期・早期・前期・中期・後期・晩期)に分けて研究者は考えます。その中で一番人口が多かったと想定されるのが「中期」で26万人ほど(一つの考え方)。今と同じ日本列島に最盛期でも26万人しか住んでいなかったというのは驚きです。

平均寿命は40歳前後(諸説あり)で、生まれた子供のおよそ半数は15歳未満で亡くなったとか。生きていくことがなんと厳しい時代なんでしょう。今のように科学も医療も発達しておらず、頼るのは仲間と経験と知恵、そして自分自身だったのではないかなと想像します。
今でいうワンルーム(12畳ほど)の竪穴住居で暮らし、日の出とともに活動をして、日が沈めば竪穴住居の中に作られた炉を皆で囲んで時間を過ごすという暮らし。

現代日本と大きく違うのは、シャーマン(呪術師)が居たということでしょうか(あくまでも想定)。シャーマンは祈祷師であり、医者であり、薬剤師であり、喧嘩の仲裁役でありと、一人で何役もこなした集落にとっては重要な人物です。今でも世界中の狩猟採集民や、アニミズム信仰(有機物・無機物に関わらず全てのものに魂が宿っている)をもつ人々の世界では活躍している存在です。

では、縄文時代もアニミズム的な考えによって暮らしていたのでしょうか。わたしはそう考えています。全てのものに魂が宿る。彼らの生業は狩猟採集漁労です。森に住む動物を狩り、木の実や山菜、きのこを採集し、魚介類を獲って暮らす。他にも、着るもの、食べるもの、住んでいる家の資材もすべて自然から。そんな自然界からもたらされる食料で生きている彼らにとって、全てのものに命(魂)が宿り、その命をいただいて、自分の命が繋がっていくという世界観を持っていたとしても、なんら不思議ではありません。
人間も自然の一部である。そして命は循環する。常に自然環境に翻弄されながら、とにかく次の代へと命を繋ぐことを至上命題に生きていた時代が、縄文時代だった、ということです。

さ、そんな縄文時代に暮らした縄文人に近づく準備はいいですか?え?ちょっと怖い?いえいえ、そんなことはありません。彼らも私たちも何も変わらないんですから。それでは、本格的に話を進めていきましょう!

STEP 2

身の回りにある縄文時代のカケラを探そう①

  • 加曽利貝塚。千年かけて2m積み上げたとか

「縄文時代のカケラ」と言いましたが、なにも土器や石器のカケラを畑で見つけようと言っているわけではありません。少しかっこよく言ってみただけです(笑)。で、何を見つけるかですが、ここでは食の分野から縄文時代と私たちとの接点を探すことにしましょう。

「和食の原点は縄文時代にあり」と言っていいほど、この時代から続く食べ物を、気がつかない間に私たちは常食しています。
例えば、魚の干物。当時、夏になると縄文人は盛んに漁に出ました。そして海岸べりでキャンプをし、ガラス質で切れ味抜群の黒曜石で魚を捌いて干物を作ったのです。魚は焼いたり蒸したりする以外に干物にして保存食にしました。また、いろんな魚介類を土器に放り込んで煮るだけで、魚介エキスたっぷりの潮汁が完成します。これらは私たちの日常にある「おかず」と言えるでしょう。

縄文時代の特徴的な遺跡である貝塚だって、彼らが大量に食べていた様々な貝(ヤマトシジミ・マガキ・ハマグリ・アサリ・アワビなど)が重なり合ってできたもの。貝は汁にすることで、含まれる栄養素が溶け出し、無駄なく体内に摂取することができます。
私たちが二日酔いの朝に「あー、しじみの味噌汁飲みたいわー」と思うのも、タウリンというアミノ酸を摂取したいからで、それは縄文時代から変わらずやっていることなのです(もっとも、縄文時代の場合はお酒の存在は未確定なので、二日酔いの朝に飲むわけではありません)。

私たちが海外の人たちよりも繊細な味を感じることができるのは、縄文時代に飲んでいたしじみ汁の味や昆布を煮た汁、つまり和食の基本となる出汁の味を体が覚えているからではないか、などと妄想するのです。

POINT

実はこれを読んでいるほとんどの人が、縄文時代から続く食品を食べています。
「え?俺、骨の付いたデカい肉とか食べてないけれど」と思ったあなた。それは「はじめ人間ギャートルズ」のゴンが食べていた肉。ちなみにその骨つき肉はマンモスの肉で、縄文時代にマンモスなど存在していません。そしてもう一つ言うならば、あれは縄文時代ではなく、その前の時代、旧石器をモデルにしていると思われます。

STEP 3

身の回りにある縄文時代のカケラを見つけよう②

  • 加曽利貝塚で作ったイボキサゴの貝汁

では、実際に身の回りにある縄文時代のカケラを見つけてみましょう。
今日のお昼は何を食べましたか?頭に浮かべてみてください。唐揚げ定食?豚の生姜焼き定食?最近健康に気を使っているからやっぱりサバの塩焼き定食にしたんだ!(若干、無理やり感がありますが)。
ではそのサバの塩焼き定食の内容はどんなものでしたか?サバ、小鉢、お味噌汁、白米(もしくは雑穀米)ぐらいでしょうか。お味噌汁の具は?ワカメと豆腐?ネギとナメコとか?小鉢は?切り干し大根とか青菜のお浸しとか。百合根の卵とじとかだとちょっと嬉しい。

さて、この中に縄文時代からずっと食べられている食材がいくつかあります。
サバはもちろんですが、ワカメやナメコも食べています。ざっくり言うと海藻や森に自生しているキノコ類は食べています。ネギはどうでしょうか?今のようなネギではありませんが、「ノビル」といって、ネギ科の植物は食べていたようです。大根は縄文時代には存在していません。ほうれん草や小松菜のような青菜もありませんが、野草はあります。百合根は貴重な澱粉質なので、盛んに食べていたことが分かっています。
最後に主食の白米ですが、大規模な水田稲作は、皆さんご存知の通り弥生時代以降です。しかし、雑穀の一種として「コメ」は縄文時代に既に存在していたことが分かっています。しかし主食ではないので、縄文時代から食べられているにはカウントしないことにします。

こうしてある日の昼ごはんをざっと見るだけでも、私たちは縄文時代から変わらず同じ食材を食べていることが分かってもらえたのではないでしょうか。
毎日脂っこいフレンチは食べられないけれど、和食なら大丈夫、というのは、日本人に刷り込まれた古からの食文化といっていいかもしれません。

STEP 4

キノコ狩りや山菜採りは縄文人の血が騒ぐのだと心得よ

  • 春の山菜採り
  • 秋の実りの時期、木の実やキノコ収穫

なんでもかんでも縄文人に繋げて考えるのは違うと思いますが、それでもそうとしか思えないこともあります。
縄文人たちの生業は、漁労・採集・狩猟と前述しましたが、とにかく彼らは食べるものを集め続けて一生を終えたといっていいでしょう。特に、メジャーフード(主食)である木の実の採集は、それこそ猫の手も借りたい勢いで、集落総出で森に分け入り作業したはず。秋の実りの時期におよそ半年分の木の実を集めたと考えられています。それを1万年以上続けたのです。その記憶がDNAとなって私たちの中に残っていてもなんらおかしくないはずです。

DNAを解析したとしても、「木の実拾い」に関するデータなどは出てきませんが、これは絶対残っているとわたし自身は確信しています。というのも、私たちの多くが街に住んでいるにもかかわらず、「キノコ狩り」などと言われるとなぜか心が躍ってしまう。山菜採りもそう。熊が出るから気をつけろ、と言われているにもかかわらず、つい山に入ってしまうのが人間なのです。別にスーパーで買えばいいじゃないか。命の危険を冒してまでキノコ狩りをする必要などどこにもない。それでも入らずにはいられないのです。

POINT

これは、食料を獲得した時の喜びが、私たちの本能に込まれているからではないかと思います。
縄文時代、彼らは常に飢えとの戦いでした。日がな一日中食料を探し、とにかくなんでも食べました。現代人の8割ほどのカロリーを摂取していたと言われていますが、その量を植物食料から摂取しようとすると、相当量必要になります。つまり起きている間はずっと食べ物獲得に勤しむ必要があるのです。
とにかく生きることは食べることであり、食料を獲得することに一種の娯楽性と喜びを見出して、彼らは1万年以上命を繋いできたことになります。そのDNAを引き継ぐ私たちが「〇〇狩り」と言われて心が躍るのは仕方ないことなのです。

STEP 5

縄文人のDNAを持っていることを自覚せよ

  • 千葉県加曽利貝塚縄文遺跡公園

珍しいところでいえば、彼らはフグも食べています。毒があるにもかかわらず、彼らは果敢にもフグを食べた。食べられる食品が一つでも増えれば、それだけ飢えから解放される可能性が高まります。多種多様なものを食べるのは、彼らの生存戦略であり、厳しい自然環境を生き抜くためには欠かせないチャレンジだったのだと想像するのです。中には命を落とした人だっていたのかもしれない。
とにかく人間の本能を全開にして食料探しに立ち向かう。臭いをかぎ、ぺろっと舐めて腐っていないか、これは食べられる食料なのかを判断する。それでもわからない時は、「えいや!」と食べたこともあったはず。

一方で違う見方をすれば、「これ、よくわかんないけど食べてみたい!」と、考えられないほど好奇心が旺盛な人たちだったんじゃないか、とも想像してしまいます。
平均寿命が40歳前後の彼ら。昨日まで元気だった我が子が突然命を落としたり、自分自身も狩りの際に負った傷が元で死ぬことだってあるのです。生と死が常に表裏一体で、それを自覚しながら生きている彼らは「やりたいことは思った時にやらないと、いつ死んじゃうかわからない」という世界観の中で生きていたのではないでしょうか。

さあここで、振り返って私たちです。現代日本人は縄文人のDNAをおよそ12%受け継いでいます(沖縄・アイヌ除く)。つまり、「やりたいことは思った時にやらないと、いつ死んじゃうかわからない」という感覚を本来は持っているはずなのです。縄文人は生きることに前のめりの人たちだったはず。そのDNAがわたしの中にも存在するんだ!その事実を知った時、生きる勇気をもらった気がしたのです。それを意識するか、しないか。ただそれだけなのですが、わたしの場合は判断も早くなる気がしています。

ここまで読んで下った皆さん。「自分の中にも縄文人のDNAが存在する」ということを意識してみてください。たったそれだけだけれど、なんだか愉快なことであり、皆さんの人生をチャレンジングなものに変えてくれるかもしれません。

STEP 6

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妄想縄文体験に挑戦したら、ぜひ『やった!レポ』に投稿して、体験をシェアしませんか? 感想は「コメント」に記入してください。

MATOME
まとめ

今回は、食を通して縄文人に近づくことをテーマに話を進めました。縄文人というのは、非常に面白い人たちです。彼らが文字で書き残したものは何一つありませんが、それでも彼らに近づく手立ては転がっていて、それを感じることは新たな視点を持つことになるのではないかと思っています。

命の使い方を知っている。わたしはそんな風に彼らをみています。同じ食材を食べている私たちは、縄文人と同じ釜の飯を食べた同志と言っていいのでは?(人類史からみるとそれぐらいの時間幅だから)
80代前の私たちの先祖が持ち得たアグレッシブさが自分の中にあることを思いながら、今日もサバの塩焼き定食を食べたいと思います。

※さらに詳しく知りたい方に《おすすめ書籍》
「知られざる縄文ライフ」(2017年、誠文堂新光社)
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「土偶界へようこそ」(2017年、山川出版社)
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「縄文のヒミツ」(2018年、小学館)
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GROW CHART
成長スコアチャート
野性3
4知性
4感性
アクティビティ
感じる
環境
山 ・ 川 ・ 森 ・ 街 ・ 海 ・ その他
季節
春 ・ 夏 ・ 秋 ・ 冬
所要時間
~30分
対象年齢
小学生高学年以上
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