1974年東京生まれ。2000年よりオランダ在住。2000年文化庁派遣若手芸術家として、2007年ポーラ財団派遣若手芸術家として、オランダ&ベルギーに滞在。2005年以降、嗅覚とアートの融合を試み、匂いを素材として作品を制作・発表する。現在は石垣島を拠点とし、ヨーロッパを中心に世界各地で展示やワークショップを行う。欧米で流行中の嗅覚アート界の先駆者的アーティストのひとり。オランダ王立美術学校の学部間学科ArtScience非常勤講師。石垣島ではユニークなアトリエを構え、嗅覚教育と嗅覚のツーリズムに取り組む。http://www.pepe.okinawa/
オンライン・ポートフォリオ:http://www.ueda.nl
何気なく食べている時でも私たちは五感を総動員しています。リンゴを口にした時に、もしピーマンの味がしたら、あるいはおせんべいのような食感だったら、意識していなくてもすぐに異変に気付くでしょう。
今回はこの統合された五感をひとつひとつミュート(OFF)しながら、そのひとつひとつを意識的に確認する、そんな「五感の実験」としてのHow toを紹介します。特別な食材は必要ありません。台所にあるものを「五感的に」観察し、今晩の食卓で少しだけ実験してみましょう。
実例として紹介するのは、2009年にロッテルダムの日本映画祭で開催した「五感のための晩餐会」という、フード・アート的なワークショップです。ひとつひとつの料理に添えられるのは、目隠しや耳栓など、感覚を消したり強調したりするための小物。メニューはコースで構成しました。
1. お通し:耳栓をして食感と聴覚で味わう
2. 前菜:スープを蒸留して香りのみを抽出し「食の香り」を体験する
3. 主菜:目隠しをして視覚以外の全感覚で味わう
4. デザート&ドリンク:目隠しと耳栓をして体内感覚で味わう+フレーバーペアリング
日本の食材をたくさん使っているので、自宅でも体験しやすいと思います。
台所の食材
耳栓
目隠し
メモ用紙と鉛筆
拭香紙(香水などを染み込ませて嗅ぐ紙)
※無臭の画用紙を 0.8x15cm 程度に切ったものでもOK
スプレーボトル
おしぼり
自宅で体験する場合、二人一組で取り組むと良いでしょう。安心して楽しく体験するために大切なのは、メニューの考案と調理以外にも、体験者へのタイミング良い指示出しと、的確なコミュニケーションです。メモを用意して、感じたことをシェアしましょう。
では、はじめに耳栓をつけて食する実験です。噛んだ時に出る音が歯から頭蓋骨に伝わり、その振動は内耳にダイレクトに伝わります。まるでラジカセにアンプをつけたかのように、食べものの音が増強されて聞こえます。体内感覚で食を楽しみましょう。
「五感のための晩餐会」でのお通しメニューの紹介です。
■お通し(音無し、あるいは音煩わしの品)
かりんとう、青海苔チップス、ミックスナッツ(湿気っていると音も鈍るので、オーブン50度で焦げない程度までローストしてから、あるいはフライパンで軽く炒ってから)、揚げそうめん(素麺を半分に折り、束にして1cm幅の海苔で巻いて揚げたもの)、茎わかめ、枝豆、お漬物、もろきゅう
他にこれらもオススメです。
おせんべい、コンニャク、ピクルス、人参や大根のスティック野菜
・カリッ、パリッとするものはおすすめです。
・お漬物やきゅうりなど、カリッ、ポリッとするものもおすすめです。
・わかめのようにグニュッ、コリッとするものもおすすめです。
・バラエティに富んだ食感と風味をバランスよく組み合わせましょう。
・手あるいは爪楊枝で食べられるものと限定するのもよいでしょう。
・耳栓をしている時に喋ると自分の声がとてもうるさいです。感想をシェアできるよう、メモを用意しましょう。
続いて、食べることと味わうこと、味覚と嗅覚の間を探ります。写真A、この怪しげな透明な液体。ワカメとネギの味噌汁を実際に蒸留して得た、いわゆる「芳香蒸留水」です。エディブルな素材で作られているので、口に噴射して味わうことも可能ですが、拭香紙に噴きかけることで時間の経過による変化を追えます。
自宅では、以下の擬似的な方法で「蒸留水もどき」を作ってみましょう。
1. まず通常の手順で味噌汁を作ります。一般的なワカメとネギの味噌汁が分かりやすくて良いでしょう。水道水の代わりに市販の精製水を使うとさらに良いです。
2. 味噌汁をグツグツ煮込んで(本来の作り方からすれば邪道ですが)、蓋の内側についた透明な滴をこまめに小瓶に流し込みます。
3. 拭香紙の先端に香りをつけてから嗅ぎます。(鼻を守るため、瓶からは直接嗅がない習慣をつけましょう)
どうですか。味噌汁そのもの!と驚かれるのでは。実は、味覚の80%は嗅覚で味わってると言われます。塩味・甘味・酸味・苦味・旨味以外は、嗅覚からの情報です。私たちは鼻から、そして喉からの2つのルートで、香りを嗅覚に運んで感じています。これは人間のみに与えられている特権です。
一般的に味噌汁をグツグツ煮込んではいけないと言われる理由もお分かりになりますね。長時間煮ることによって、芳香成分が空中に蒸散してしまう、つまり香りが失われてしまうのです。部屋に入ってきた人には「んー、いい匂い?!」となるかもしれませんが、その分味噌汁本体からは味が失われていると考えましょう。
「五感のための晩餐会」での前菜メニューの紹介です。
■前菜
パフューム「味噌汁の香水」、拭香紙
・トップノート系:ネギなど薬味的な香り
・ミドルノート系:ワカメや昆布だし、味噌の香り
・ラストノート系:動物系の出汁の香り(カツオだし)
※ここでいう「ノート」とは、香水用語の「ノート」で香りの分類に使われます。
トップノートは、最初に気づく立ち上がりの香り。ミドルノートは、その次に現れてやや持続する、中心的な香り。ラストノートは、残り香的な香りです。
鍋の蓋の匂い、取りにくいと思ったことはありませんか。それは、その滴にたくさんの芳香成分が含まれているからです。香りの成分が水分とともに蒸気となり、それが蓋で冷やされ結露し滴になっているのです。いわゆる蒸留機というのは、この蒸気を流れやすく、滴を採取しやすく設計したものです。
もし蒸留機が家にあり、やってみたいという奇特な方は、トップ、ミドル、ラストノートの3回にわけて蒸留し、3つの芳香蒸留水の比率を嗅ぎながら調整します。(いわゆる調香です)
江戸時代の庶民はヤカンを使って、いばらの花を蒸留していたそうです。大きなヤカンの蓋を逆さにし、その上に茶碗を逆さに置いて、ヤカンの蓋に滴を貯める仕組みです。(出典:都風俗化粧伝、佐山半七丸、速水春暁斎、東洋文庫)
主菜は、全く同じプレートを異なるアプローチで2回試しましょう。1回目は、目隠しを着用し手づかみで食します。2回目は、目隠は外し箸を使って食しましょう。
目隠しをしている時は、色無し、形無し。 触覚的で、感覚的。「これはなんだろう」とまず嗅覚を使い、「あれかな、これかな」と考えながら食べることになります。けれども目隠しを外すと、そこは写真Aのようなかわいいお花畑。思わず歓声が上がります。目隠しして食べる前提なので、すべて手で食べられるものがよいでしょう。
「五感のための晩餐会」での主菜メニューの紹介です。
■主菜(花づくしの品々)
ひとくちいなり、糸こんにゃくの煮付け、カボチャの茶巾、レンコンの赤ワイン煮、人参の甘煮、きゅうり・菊花かぶの甘酢漬け、ゆかりのおにぎり、クレソン
・目隠しは自分で縛れば、キツくしたり緩くしたりできます。人は五感のひとつでも遮られると不自由を感じ、不安になりがちです。基本的には「自分でつける・外す」です。
・目隠しを外した時に「わあっ?!」と言ってもらえるような、ビジュアル重視の華やかなプレートにすると良いでしょう。プレートをお花畑に見立てたり、絵のキャンバスに見立てたり。
・人は視覚が遮られると、特に不安になるものです。目隠しをしたまま待たせるのではなく、食す直前に目隠しをしましょう。
最後にデザートと食後のドリンクです。目隠しをして耳栓も着用します。手で食べる準備をしましょう。前もって「デザートのプレートを配膳したらトントンと合図しますよ」と伝えます(相手は目も見えない、耳も聞こえない状態になっています)。デザートの内容は前もって伝えない方が、サプライズが大きくて良いでしょう。
「五感のための晩餐会」でのデザートと食後のドリンクメニューの紹介です。
■デザート(びっくりアイス)
ポップ・ロックのアイス(オランダのスーパーで市販されているもの)、雪見大福
※口のなかでパチパチはじける砂糖を、ポップ・ロック・キャンディといいます。弾けているのは炭酸だそうです。日本でも通販で手に入るようです。目隠しをして耳栓もしているため、口に入れるだけでパチパチと音が弾けるのはかなりびっくりします。
※雪見大福の食感もオランダでは初めてという方が多く、アイスと分かっていても複雑だったと聞きます。けれども、デザートということでどこか安心感があり、冒険しやすいのがポイントです。アイスに限らず、手で食べられて、未知な食感のデザートやおやつはたくさんあるので、遠慮なく冒険してみてください。
目隠しも耳栓も外してから、
■食後のドリンク(フレーバーペアリング)
グリーン・ティー(緑茶)+オレンジ・ジュース・スプレー
オレンジ・ジュース・スプレー(オレンジジュースをそのままスプレーボトルに入れたもの)を口に吹きかけてから、緑茶を口に含ませます。
"ふたつの食品の主要成分に共通するものがあった時に、それらはうまく組み合わさる"を主旨とする、フレーバーペアリングのサイト ( www.foodpairing.be ) からペアを探しました。お茶にもコーヒーにも、無限の可能性があります。意外な組み合わせを探して遊んでみましょう。
この食後のドリンクの時に、すべてのメニューをカードにしたもの相手に渡すと良いでしょう。通常のレストランと順序が逆ですね。
五感のための晩餐会に挑戦したら、ぜひ『やった!レポ』に投稿して、体験をシェアしませんか? 感想は「コメント」に記入してください。
「五感のための晩餐会」で、体験者からの感想で最も多かったのは「疲れたー!」「お腹いっぱい!」という感想です。感覚を集中して食べると、慣れないので疲れます。そしてなぜかすぐにお腹いっぱいになります。ふだんの私たちは案外、習慣でダラダラと食べているのです。そして、みなさんもちろん「よく味わえた」とも語ってくれました。
この体験のインスピレーション源となったのは、般若心経の以下のフレーズです。
無限・耳・鼻・舌・身・意 無色・声・香・味・触・法
(むげんにびぜっしんに むしきしょうこうみそくほう)
視覚、聴覚、嗅覚、味覚、触覚、心。 そのどこにも不変のものはなく、みな「空」である。見えたもの、聞こえた音、嗅いだ臭い、食べた味わい、触った感触、抱く思い。 それらもまた「空」であり、不変の実体として存在するものではない。(現代語訳 https://www.zen-essay.com/entry/hannyashingyou )
この禅的な世界観を西洋的なコンテキストで体現するにはどうしたらよいだろうと考え、この晩餐会を考案し発表したのでした。もう10年以上前のことです。
ふだんの三度の食事もこうして、感覚をひとつひとつ確認しながら、丁寧にいただく。このHow toがそんなきっかけになれば幸いです。