1943年愛知県生まれ。早稲田大学卒。野遊び作家、エッセイスト、フィールドアドバイザーとして活躍中。登山、釣り、山菜、薬草、きのこ採りをはじめ、広範にアウトドアを跋渉する自然派人間。主な著書に、『野草をおいしく食べる本』『身近で見つかる山菜図鑑』『いますぐ使える山菜採りの教科書』『キノコ採りナビ図鑑』『実践サバイバルのすすめ』など、野遊びや健康ライフをテーマとした著書多数。テレビ、ラジオ、講演などでも活躍中。神奈川県鎌倉市在住。
薬草・きのこ塾「蓬莱仙人の植物学校」https://horai-sennin.jimdofree.com/
「野草を食べる」というと、なにか少し変わったこと、楽しそうなことと感じる人が多いかもしれません。もちろん、そういう気持ちや気分というのもよくわかるのですが、じつは、それ以外にもぜひ気がついてもらいたいことがあるのです。それは、私たち人類は、この地球上に誕生したときから、ずっと植物を食べ続けてきたということです。
けれども、今日のように人為的に田んぼや畑で作られる穀物や野菜がなかったときは、一体どうしていたのでしょうか? それは、もちろん、自然の大地に生える野生の植物を食べていたのです。そして、その野生の植物というのは、大きく分けて、「木」と呼ばれる木本植物と、「草」と呼ばれる草本植物とがありますが、このうちの草本植物にあたるものが、いわゆる「野草」と呼ばれているものにほかなりません。
つまり、私たちは、人類としてこの世に登場して以来、ずっと「野草」のお世話になってきたということです。ですから、「野草を食べる」ということは、ただの楽しみばかりでなく、「私たち人類は野草によって支えられてきた」という大きな意味があることにも気がついてもらいたいと思うのです。
「野草」というのは、自然の野山に生える草本植物であることを述べました。その「自然の野山に生える草本植物」のなかには、もちろん食べられるものもありますし、薬になるもの、染料になるもの、あるいは毒になるもの…と、いろいろなグループがあります。
そのなかで、「食べられるもの」については、「食草」とか「食べられる野草」とか、ときには「山菜」などと呼ばれたりしています。それでは、その「食べられる野草」というのは、日本では一体どのくらいあるかといいますと、およそ650種類におよびます。
その一方、私たちは現在ではもっぱら畑で作られる「野菜」を食べていますが、じつは、もとを辿ると、この「野菜」というのも最初はすべてが「野草」だったのです。
ちなみに、日本で野菜の栽培が行われるようになったのは平安時代(794年~)あたりからとされていますが、それまでは毎日食べる植物性の食材は、一部の穀類を除くと、そのほとんどが自然の野山に生える野草に依存していて、このように食用になる野草のことは「菜(な)」と呼ばれていました。現在でも、アマナ、ナバナ、ツルナ、ヨメナ…というように、語尾に「ナ(菜)」がつくものがたくさんあるのはその名残りで、逆にいえば「ナ」がつく植物はすべて食用になると理解してさしつかえないのです。
それでは、栽培される野菜と、自然のもとで育つ野草とでは、どういう違いがあるのでしょうか?
まず、野菜というのは、食べやすい味になるように、とか、収穫できる期間が長くなるように、といったように、人間にとって都合が良いように品種改良という名の「人の手」が施され、その植物が本来持っていたアクやクセ味などが弱められて、毎日食べても飽きないように育てられています。その反面、人工肥料やハウス栽培などで「過保護」に育てられていますから、その植物が本来持ち合わせていた栄養素のバランスが崩れたり、低下したりしています。
これに対して、野草の場合は、今なお太古からの自然のもとでライフサイクルを繰り返していて、食用できる期間が短いのに加え、野生育ちのアクやクセ味をそのまま残し持っていますから、食べやすくするためには、その邪魔になるアクやクセ味を弱めてやる「アク抜き」という下処理を行うことが必要です。
自然育ちの野草には、ビタミンやミネラルなどの栄養価が高いばかりか、持ち合わせるアクやクセ味の正体は、ほとんどがポリフェノール類で、抗酸化作用などの健康効果にもすぐれています。それに、現在食べられている野菜の多くが失ってしまった季節感を楽しめるのも、自然育ちの野草の利点といえるでしょうか。
したがって、それぞれの野草が持ち合わせた特有のクセ味や季節感などを味わう、というのが、現在の野草の上手な楽しみ方といえるでしょう。
野草を摘むにあたっては、心得ておきたいことがいくつかあります。
●野草摘みの服装
野草を摘むのも、その種類によって、市街地の空き地や野原から、里山、山地、海辺などとフィールドが分かれ、厳密に言えば、それぞれのフィールドや季節などで服装にも多少の違いがあります。けれども、どのフィールドにも共通して言えることは、草木の枝やトゲによる傷、虫刺されなどを防ぐために、季節を問わず、長袖シャツに長ズボン、広めのツバのある帽子を被り、手には軍手という「できるだけ素肌の露出を抑える」のが原則です。
●野草摘みの道具
今回STEP4以降で紹介する程度の野草であれば、とりたてて必要とする道具は不要です。ただし、野草は「蒸れ」に弱いため、摘んだ野草を持ち運ぶ容器は、ビニール袋でなく、通気性のよい篭などを用いることです。
●野草摘みのルールとマナー
野や山は、自然に生育する野草たちの貴重な資源のひとつですから、来年も、5年後も、10年後も、毎年楽しめるように、その資源を保ちながら摘むのがルールです。
①株立ちするものは、その全部を採らないで必ず半分を残す
②根を採取するときは、必ず根の一部を残す
③群落を形成するものは、広範囲から間引いて採り、一部分を集中的に採りつくさない
また、ゴミを持ち帰るなどのマナーもしっかりと守るようにしましょう。
●野草摘みの危険
自然のフィールドには思わぬ危険が待ち受けていますから、十分な用心が必要です。
①道迷い:市街地や里地などでは心配ありませんが、山地での野草採りは、道に迷いやすいので注意をしなければなりません。
②害虫による被害:自然の山野には、蚊やアブ、ブヨ、ダニなど小さな毒虫たちがいますから、防虫スプレーなどを用意しておくことをすすめます。
③毒草の誤食:野草は、若芽や若葉のうちはどれもよく似ていて、間違えて毒草を口にしてしまうことが少なくありません。たとえば、はじめの写真は食べられるフキノトウ、次の写真は強毒のフクジュソウの若芽です。ちょっと目には区別がつかない典型的な例です。したがって、100パーセント種類を同定できるもの以外は、決して口にしないことが大切です。
野草は、栽培される野菜と較べて格段に栄養価が高い反面、それぞれに特有のアクやクセ味があって、野菜よりも食べ難いという欠点があります。けれども、野草を食べる大きな楽しみは、ふつうの野菜が失ってしまった野性味とか季節感などを味わえることにありますから、その原因のアクやクセ味を全部取り除いてしまったのでは、わざわざ野草を食べる意味がなくなってしまうでしょう。
そのため、こうした野草を食べやすくすると同時に、それぞれの持ち味を楽しめるようにするには、そのアクやクセ味を適度に弱めて調整してやることが必要になってきます。その目的で行うのが「アク抜き」という下処理です。
通常、アク抜きは、図1(アク抜きの基本工程)の手順で行いますが、このとき注意したいことは野草のアクというのは、それぞれの野草によって強い、弱いの差があるために、どの野草も全部おなじ方法でやるわけにはいかないということです。つまり、それぞれの野草の持つアクの程度によって、微調整してやる必要があるのです。
具体的に言いますと、最初の「茹でる時間」はどの野草ともあまり茹ですぎず、少しシンナリする程度でいいのですが、次の「冷水にさらす」という工程で、アクの弱いものはその時間を短くし、強いものは長くさらす、というように「水さらし」の時間で調整するのがベターなのです。そのとき、目安にしたいのが、水さらしの途中で、ちょっと口に含んで噛んでみて、少し苦みを感じる程度にアクを抜く、というのが、どの野草にも当てはまる方法だと言えるでしょうか。
ただし、野草の持っているアク成分というのは、高温の油や味噌を用いるときは、それによって弱められたり、消失したりしますから、天ぷらや炒め物、味噌汁などに用いるときは、アク抜きしないで使えます。
冒頭で述べたように、少しオーバーな表現ではありますが、私たち人類は、地球上に誕生して以来、ずっと野草を食べて生命を受け継いできたのでした。また、それほど大げさに言わなくとも、私たち日本人が歩んできた来し方をちょっと振り返ってみても、たとえば大規模な冷害などによる凶作で、ひどい飢餓、飢饉に見舞われることが何度もありました。そんなとき、私たちの先祖たちは、野に生える野草を「救荒食」として生命を永らえてきた歴史があります。そればかりか、現在の高齢者の中には、つい70年ほど前の太平洋戦争の折、ひどい食糧難を余儀なくされ、やはり野の野草で飢えをしのいだことがある人が少なからずおられます。
そして、今日でも、異常気象に伴う大型の風水害とか大地震などの自然災害によって、いつ私たちがそういう危難に晒されるかもしれないのです。そんなとき「野草を摘んで食べる」という知恵や知識があれば、少なくともその分だけ自分や家族の生命を永らえられることにもなってくるでしょう。つまり、「野草を食べる」ということは、ただ楽しいだけでなく、そういう意味もあるということを、この機会に知っておいていただければ幸に思います。