山と溪谷社で図鑑や自然関連書籍などを担当する自然図書出版部のツイッターアカウント。中の人は5名で、それぞれ生き物ジャンルでの得意技をもっている。
@yamkei_ikimono
https://www.yamakei.co.jp/
今、図鑑が人気です。さまざまなジャンルに、いろんなタイプの図鑑がありますが、図鑑をひと言で言い表せば「いろんな種類ものを図とともに網羅的に掲載して解説する本」といえるでしょうか。多くの場合、生き物の名前を調べたり、分類や形態、生態などを調べるときに使われますが、図鑑を見ても「載ってない」「わからない」という経験をしたことのある方もいるでしょう。また、今の時代では、紙の図鑑よりも「WEBで検索」したり「SNSで聞く」「アプリで充分」という考えもあるかもしれません。
しかし、図鑑は研究者やその生き物をずっと見てきた執筆者が1冊にまとめており、信頼度や安定感においてWEB上の情報とは比べものになりません。そうした図鑑はあなたの先生となりパートナーとなります。ここでは、生き物の図鑑を日々作っているわたしたちが、ともすればとっつきにくい図鑑の攻略法をお教えします。さぁ、あなたも図鑑と一緒に自然の世界を探索しましょう。
書店の図鑑コーナーを訪れてみるとそこにはさまざまな図鑑が並びます。鳥や昆虫などの狭いジャンルに限っても、図解の多い大判のものから、胸ポケットに収まるハンディなもの、難解な専門用語が並ぶものまで多種多様です。図鑑の制作に携わるわたしたちは、便宜上生き物図鑑を以下の5つに分けています。
①専門図鑑:掲載されている種類の網羅性が高く内容も詳細。研究者や上級者向けのもの。
②実用図鑑:検索性などが高く、一般愛好家が「便利に使う」ために作られたもの。
③子ども向け学習図鑑:その生きもの全体がよくわかるように配慮され、種類の網羅性が高いもの。子ども向けとはいっても、大人も充分楽しめる。
④ビジュアル図鑑:種類の網羅性、検索性ではなく、生き物のビジュアルの美しさを優先して、見て楽しむもの。翻訳物なども多い。
⑤おもしろ図鑑:生き物の生態や行動などに注目して、イラストや写真でおもしろく紹介したもので、種類ごとに紹介しているので図鑑を名乗っているもの。
この記事では生き物の名前や生態を調べやすい②の実用図鑑を中心にお話しを進めます。
はて、図鑑は生き物を種類別に紹介する本ですが、そもそも生き物はどれぐらいの種数がいるのでしょうか? 例えば、日本で野鳥は500種類以上、植物は8000種類以上と言われ、昆虫ではなんと3万2000種(!)が知られています(実際は10万種類とも……)。つまり、図鑑で1ページ1種類を掲載すると植物では8000ページということになり、昆虫に至っては1冊800ページでも全40巻になってしまいます。
このように、生き物は種数が多いので実用図鑑は「よく見られる種類」を選択しています。そして、「使って便利」な実用図鑑はそれぞれのコンセプトによって、掲載する種類や構成が考えられているわけです。昆虫ではなくチョウに限定したものとか、山の花とか北海道の野鳥など、地域や環境、季節分けのものもあります。これらは、「種類多すぎ問題」を少しでも解消するための工夫なのです。
それでは図鑑を開いてみましょう。基本は種類ごとに写真やイラストがあって、それぞれの解説が載っています。まずは名前に注目してみましょう。
「コナラ」
その生き物の日本語の名前「和名」です。生き物の種名はカタカナで表記されます。そして、和名の近くには以下のように「学名」という学術的な名前が掲載されています。
「Quercus serrata」
アルファベットで書かれていますが、英語ではなくラテン語です。あえてカナカナで読むと、クェルカス・セラータとなります。これは世界共通のもので、Quercusという「属名」とserrataという「種小名」の2つの組み合わせでコナラという「種」を表しています。これは「二名法」と呼ばれていて、すべての生物にこの学名が付けられています。この「属」とは仲間の単位で、Quercusはコナラ属を指します(ちなみにラテン語で「立派な木」という意味だそうです)。
図鑑によっては、和名の近くにこの属名とともに「科名」や「目名」など、仲間を表す名前が表示されていることもあります。
「ブナ目ブナ科コナラ属」
コナラは、ブナ目という仲間で、そこにブナ科のほかにクルミ科やシラカバなどが属するカバノキ科などが入っています。ブナ科はブナをはじめ、クリやシイノキやコナラをはじめとした樹木が属しています。コナラ属はまさにドングリの木で、世界では600種ほどが知られており、日本ではコナラのほか、クヌギやミズナラなど15種ほどが属しています。
このように生き物は似たもの同士を塊とした階層構造になっています。このようなことを生物の「分類階級」といいます。ちなみに目の上には綱や界といった大きな分類や亜種や品種といった「種」より細かい分類もあります。 多くの図鑑はこの分類に沿ったページ順になっています。
それでは本文の解説を見てみましょう。図鑑によっては、大きさや分布などのデータ表示だけで、文章がないものがありますが、それぞれコンセプトに合わせ、形態や似た種類との識別ポイント、分布や生息環境、名前の由来などが書かれているはずです。
本文には「対生」とか「留鳥」とか、ちょっと難しい専門用語も出てきます。日本語として意味を想像できるものも多いのですが、必ず図鑑の最初の方のページにある「本書の使い方」や「用語解説」を読んでおきましょう。なかには魚の縞模様を示す「縦帯」「横帯」のように、普通の感覚と逆の場合もあって要注意です。また、そのようなページは、用語解説だけでなく、その生き物の基本的な形態や生態などが説明されている図鑑も多いのでとても勉強になります。
生き物の名前を突きとめてそれと認めることを「同定」と言いますが、まったくの初心者が生き物を前にしたとき、図鑑があれば名前がわかるのでしょうか? 種数が少ない分類群で、いい感じの初心者向けの図鑑を持っていて、その生き物がたまたま一般的な種類で、かつ特徴的なものであれば……わかる可能性があります。そうでなければ、なかなかわからないのが現実です。どのページを見ても、どれも似ている、どこがちがうかわからない……という状態になるでしょう。
特に植物はひとつの種の中でも個体変異がとても大きく、一本の木でも葉っぱの形がさまざまで、図鑑の写真通りとはいきません。しかも、「植物図鑑」を称していても、実際は「花」図鑑のことも多く、葉だけではよくわからない写真しか掲載されていないこともあります。また、昆虫や野鳥、魚などでは、雌雄や成長段階、あるいは季節によって色や形が変わるものも多く、本当に混乱します。そして、図鑑にはそれらすべての写真が載っているわけではありません。つまり、図鑑にも限界があるのです。
そこで初心者におすすめしたい図鑑の使い方が、すでに名前がわかっているものを図鑑で調べることから始める方法です。例えば樹木であれば街路樹や公園の樹木で名札がかかっているもの。あるいはテレビやネットで見た鳥を図鑑で調べるのです。こうすることで、まずは実物と図鑑の写真を見比べ、解説文の読み合わせをして、図鑑に親しむことから始めるわけです。そして、必ずとなりの種類も見て、「こういう似た種類がいるんだ。識別ポイントはここなんだ……」と認識し、「予習」しておくことがとても大切です。
図鑑で名前を調べる行為は、識別点を見極めるための観察と一体です。樹木の葉であれば、大きさや形だけでなく、葉の付き方や葉脈の伸び方、縁のギザギザなどを観察します。種類によっては葉の毛の有無などの確認が必要になります。私は植物に通じた先輩から「葉裏の微細な毛の有無を調べるには、唇で触れるのがいちばん敏感でわかりやすいんだ」と習いました。図鑑の「写真を見る」「解説を読む」の先には、実物を体感する世界が広がっています。
生き物の名前を知ることは、自然を知ることの第一歩に過ぎません。名前がわかるからこそ、その種類の生態や行動を知ることができ、他の生物や環境との関係を学べます。植物の名前がわかる――すると、その葉だけを食べる昆虫がわかる。野鳥の雌雄がわかる――すると2羽の行動の意味が見えてきます。生息している種類の差から、微妙な環境の違いやその土地の歴史あるいは生物進化も見えてきます。ステップ7の4枚目の写真は、エゴノキとそれを利用するエゴツルクビオトシブミです。木の名前がわかるとそれを食べる虫の名前を調べられるようになります。その反対に、虫から木の名前がわかることもあるでしょう。
多様で複雑な生態系は、結局のところ一種一種の生物で構成されています。生物多様性への理解はその一種一種のことを知ることからはじまります。図鑑をパートナーに、あなたも自然の世界を探求してください。