環境社会学者。法政大学准教授。博士(人間科学)。NPO法人Waterscape代表。1981年岐阜県関市生まれ。清流長良 川の水で育ち、10歳より水環境問題に関心を持つ。2003年第3回世界水フォーラムではオランダ皇太子ら世界のリーダーと50ヵ国1500人の若者を集めた「ユース世界水フォーラム」の責任者を務め、第6回日本水大賞国際貢献賞受賞。早稲田大学大学院人間科学研究科博士課程修了。環境社会学の立場から“水”をテーマに環境保全政策・観光まちづくり政策の研究に取り組む。最近は“アクアツーリズム”という地域の湧き水や洗い場を観光資源にした新しい観光実践に注目している。
私たちの地域社会は、古くから生活の基本として、必ず水と共にありました。それは、湧き水や井戸、川や池です。それは農村部に限らず都市部でも同じこと。私たちの暮らしは、昭和30年代から40年代に全国的に上水道が普及するまで、主として井戸や湧き水に頼って生活してきました。近代化によって、井戸や湧き水は多くの地域で失われましたが、令和の時代に入ってもなお井戸が残っている地域もあります。農村部では、比較的井戸を目にすることがありますが、意外なことに井戸と馴染みの薄いような東京の都心でもみかけることがあります。なぜ、井戸は現在も存在し続けているのでしょうか?
このHow toでは、地域の井戸を探すことを通じて、地下水の流れる地形の仕組みや、私たちの暮らしと井戸とのかかわりを再発見し、井戸が存在する現代的意義を考えていきます。
地下水がどこを流れているか、考えたことはありますか?地下水は地中を流れているので、地上から確認することはできませんが、ある程度予測することができます。
地上を流れる表流水と地下水の流れには、共通点があります。地上を流れる川を想像してみてください。とてもシンプルなことですが、川は高いところから低いところに流れていきます。地形でいえば、台地ではなく、谷や窪地といった低地を流れていきます。これは地下水の流れも同じことなのです。
山や台地といった高地のなかに、縦軸と横軸をイメージしましょう。山や台地に降った雨は、地中に長い時間をかけて縦軸に染み込んでいきます。その一方で、ある程度染み込んでいくと、水は束になり横軸に水脈をつくります。この水脈は、高いところから低いところに流れをつくりだします(地下水の流れは重力だけでなく圧力によって流れる場合もあり、下から上に流れることもあります)。したがって、凸凹地形のエリアでは、台地から谷や窪地の境にかけて、地下水が集まりやすく水が湧き出したり、井戸に適した地域となりやすいのです。
平地のエリアでは、周囲を山に囲まれた盆地や、急峻な山あいから川が土砂を運んでできた扇状地で、地下水が集まりやすく、水が湧き出したり、井戸に適した地域といえます。これらを頭において地形を観察すると、地下水が集まりやすい場所が、何となく想像できるようになります。
それでは、地下水が集まりやすい地形の特徴がわかったところで、お住まいの身近なエリアの地形をみてみましょう。目的地を決めて、調べていただいても構いません。凸凹地形のエリアや、台地から谷や窪地の境はないか調べてみましょう。
地形を調べる方法はいろいろありますが、国土交通省が無料で公開する「国土地理院 デジタル標高地形図」がもっともわかりやすいでしょう。写真では、実際に国土交通省のホームページから、関東地方のデジタル標高地図の「東京都区部:技術資料D1‐No.455」をダウンロードしたものです。
この標高地形図は、地形の起伏がカラー表示されるので、地形的な特徴を直感的に理解することができます。標高の高いところが暖色系に、低い部分は寒色系になるように、段階的に彩色されています。
ここでは、東京の都心部である神楽坂エリアをみていきましょう。神楽坂という地名が示す通り、神楽坂は飯田橋付近から坂を登った台地に位置しています。この図では、神楽坂エリアは黄色のある台地にあり、飯田橋付近は緑色の低地にあることがわかります。こういった、特徴的な凸凹地形は、地下水が集まりやすく水が湧き出したり、井戸に出会える可能性が高くなります。
デジタル標高地形図でみつけた凸凹地形のエリア、台地から谷や窪地の境のあるところを、実際に歩いてみましょう。まち歩きの際には、Google Mapなどの地図アプリをみながら坂の多い場所、台地から谷、窪地の境目、路地裏などを探してみましょう。
ここでのポイントは2点あります。1つは、これまで解説してきたように、地形に注目すること。もう1つは、古い建物の建ち並ぶような開発から逃れた一角に注目することです。
先にも述べたように、昭和30年代から40年代頃に上水道が普及するまでは、各地で井戸や湧き水はありふれた存在でした。しかし、近代化、すなわち都市部では開発の波にのまれるかたちで、多くは消滅することになりました。したがって、開発の波が行き届いていない下町風情の残るような一角の道路脇や路地裏には、井戸が残りやすい傾向にあるのです。
ここでも、神楽坂エリアをみてみましょう。神楽坂の赤城神社周辺は、下町風情の残るエリアです。地形的にみても典型的な凸凹地形です。国土地理院のデジタル標高地形図をみると、赤城神社を境に北側は崖下となり低地が広がる一角です。そして、下町風情の残った住宅街でもあります。この2つの条件が重なっているこのエリアには、井戸が数多く残っているのです。
1枚目の写真は、神楽坂エリアの凸凹地形周辺で見つけた路地裏です。このさきほど写真で示した凸凹地形周辺でみつけた路地裏を進んでいくと、2枚目の写真のように、奥に井戸がありました。突き当りの建物が建つエリアは、周囲よりも一段高台となっており、路地裏のある空間は低地にあたります。このような境目のあたりに井戸がつくられる傾向にあります。
※路地裏は、一部私有地のなかにある私道の場合もあります。無断で立ち入らないように注意が必要です。
井戸は、管理する主体によって3つの種類に分けることができます。
1つ目は、行政が管理する公共井戸です。これは災害時に利用することを想定し、災害時の避難場所となっている公園などの公共空間に整備されていることがあります。東日本大震災後に、全国の自治体で整備されることが多くなりました。東京都内の公園でも多くみかけることができます。これらは、飲用に適した井戸ではなく、災害時の生活用水に利用するための防災井戸という性格を帯びています。また、湧き水で有名な長野県松本市のように、行政が公共井戸を整備し、おいしい水を飲むことができる地域もあります。おいしい水を求めて各地の名水を探訪する観光実践は、”アクアツーリズム”と呼ばれるようになっています。
2つ目は、町内会や自治会などの地域コミュニティが管理する共有井戸です。路地裏などに存在する井戸は、地域の共有井戸であることが少なくありません。地域コミュニティが管理主体となると、利用と管理のルールがつくられ、きちんと保全されている場合が多く、現在まで維持されやすい側面があります。神社やお寺には井戸があることが多いのですが、これらも地域に開かれているという意味では、共有と私有の重なりにある井戸といえます。
3つ目は、私有地のなかにある私有井戸です。これらは、私有地のなかにあるため、無断で立ち入ったり、利用することはできませんので、注意が必要です。
万が一、井戸がみつからない場合のために、裏技を紹介しておきましょう。先に述べたように、繰り返される大規模災害の教訓から全国の自治体では、災害時の備えとして防災井戸を公共空間に整備するようになりました。災害時に不足するのは、手を洗ったり体を拭いたりするような飲用以外の生活用水であることがわかってきたからです(飲用にはミネラルウォーターが備蓄されている場合が多い)。
また、行政だけで整備するのも限界がありますので、現存している共有井戸や私有井戸を所有者の協力を得て「災害時協力井戸」として登録を行うようになりました。災害時の生活用水として、近隣住民に提供いただくためです。「災害時協力井戸」に登録されると、行政から定期的な水質調査をしたり、メンテンスのサポートを得ることもできます。この「災害時協力井戸」制度は、放置されつつあった井戸を修復・復活させることにもつながっているようです。
この「災害時協力井戸」は、各自治体のホームページ、防災マップや地域防災計画に記載されています。この「災害時協力井戸」を、地下水の流れを把握する手がかりにすることもできます。
たとえば、東京都の新宿区は地域別の防災マップに「災害時協力井戸」も記載しています。1枚目の図は、新宿区地域別防災マップ(榎町)です。ピンク色のマークがついているところが井戸です。赤丸で囲っている、赤城下町あたりに密集していることがわかります。先にみてきた、国土地理院のデジタル標高地形図で照らし合わせてみると、ちょうど黄色い台地(高)から緑(低)に標高が低く切り替わる境目にあたります。
このように多くの井戸が残っていることに驚かれることでしょう。みなさんも調べた地域の自治体のホームページや防災マップ、地域防災計画を調べてみましょう(自治体によって対応が異なりますので、必ずしもすべての自治体で公開されているわけではありません)。
地域の取り組みからも井戸は防災井戸として政策的にも存在意義が高まっていることが理解できるのではないでしょうか。万が一の備えとして、「災害時協力井戸」のある場所を事前に知っておくことも大切です。
自治体のホームページで「災害時協力井戸」「防災マップ」「地域防災計画」などのキーワードを検索して調べてみてください。
自治体で公開されている、井戸の場所がわかるマップの例:
目黒区のホームページで公開されている「防災マップ全域」
https://www.city.meguro.tokyo.jp/kurashi/anzen/bosai/plan/manual_all/manyuaru-31.files/j02_p65-66.pdf
京都市のホームページ「京都市情報館」で公開されている「災害時協力井戸マップ」
https://www.city.kyoto.lg.jp/gyozai/page/0000116289.html
みなさんのお住まいのエリアに井戸はみつかりましたか?もし井戸を発見したら、写真にとって『やった!レポ』に投稿してみましょう。みつけた場所の地形の特徴や地形と地下水の関係、地域の開発の状況などについて、感じたことや考えたことなどあればコメントにも記載してみてください。
このHow toでは、地域の井戸を探すことを通じて地形と地下水の関係や私たちの暮らしと井戸とのかかわりを考えてきました。現代社会において井戸が残りやすい条件とは、地下水を育みやすい地形的な条件があること、さらに、開発の波から逃れるという社会的な条件、そしてなにより、井戸を管理し、守ってきた地域コミュニティの人たちの存在があることもわかっていただけたのではないでしょうか。
「井戸端会議」という言葉があるように、井戸のある地域空間は、人びとの社交場でした。現代では、そのような姿をみることは薄れてしまいましたが、防災井戸の整備や「災害時協力井戸」の登録を契機として、地域に現存する井戸を住民が協力して保全する機運が高まったり、地域のまちづくりにつなげようとする活動がみられるようにもなりました。
東京の牛込柳町では、地元住民で井戸維持保存会を立ち上げて、地域一体となって井戸を管理しています。ある住民の方は、「井戸は災害時のためにあるのではなくて、昔も今も地域の人と人をつなぐ存在」として、日常的に植木に水をやったり、季節ごとに路地を飾り付けしたり、住民が井戸を生活に利用しやすいようにさまざまな工夫と仕掛けをしています。井戸は人と人をつなぐ媒介的存在でもあり続けているようです。
みなさんもぜひ井戸探しに出掛けて、自分なりの地下水マップや防災マップをつくってみてください。そして、井戸のある意味について思いを巡らせてみてください。